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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■いのちをかけた愛  / 関根弘興

2012年04月02日 | Weblog
2012/4/2放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。今週はイースター・スペシャルをお届けいたします。まず最初に聖書のことばを紹介しましょう。新約聖書ローマ人への手紙5章8節 

 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

 今週はイエス・キリストが十字架につけられたことを記念する受難週という週を迎えているんですね。聖書には神は愛であると記されています。愛には必ずその対象が存在するわけですね。神の愛の対象は一体誰でしょうか。それはあなた自身なんです。あなたは神様に愛されるために存在していると言っても過言ではありません。一人一人が神様の愛を受け取る存在として愛され生きていくことが私たちの生きる目的、存在の目的なんですね。

 それではこの神様の愛というのは具体的にどのように示されたのでしょう。それはイエス・キリストの十字架の出来事を通して示されているのだと聖書は教えています。十字架それはむごたらしい処刑の道具です。両手両足に釘が打ち付けられ、さらし者にされるわけです。十字架は極悪人が向かう最後の場所です。それは人間の罪がもたらす最後の姿を象徴しているかのような呪いの場所です。この十字架にイエス・キリストは張りつけにされたんですね。でもイエス様の行動を記録している福音書を読むと、十字架につけられるような悪いことをイエス様は何一つしていません。それどころかイエス・キリストは病を癒し、罪人呼ばわりされてる人達の友となっていったんです。決して人を恐怖や不安に陥れることなどをせず、慰めと励ましを語ってきました。「人はたとえ全世界を得ても魂を損じたら何の得になるだろう」とイエス・キリストは一人一人の存在が本当に価値高いのだということを教えられた訳です。でもイエス・キリストは十字架につけられていきました。

 私たちの姿はどうでしょうか。神様に背を向けて罪あるまま生きていくとするならば、どんなに自分の人生を失わせ、滅ぼしてしまうことでしょう。実はイエス・キリストが十字架についてくださったのは人間の罪の結果がもたらす罰をあなたに私に代わって身代わりとなってくださったということなんです。あなたの罪を肩代わりし、十字架で命を捨ててくださるキリストの愛、命をかけた愛、これがイエス・キリストがあなたに示した愛なんです。神様の愛はいのちがけの愛なんですね。

  (PBA制作「世の光」2012.4.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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