♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■その死によって / 板倉邦雄

2012年04月04日 | Weblog
2012/4/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「その死によって」という題でお話ししましょう。

 さて私たちは今、生きています。現代は生きることに必死になっています。しかし、生きる裏側では同時進行している死というものがあります。ですから私たちは死という現実から生きることを照らしてみる、そういう作業が必要ではないでしょうか。そこで今日はイエス・キリストの十字架の苦難と死の目的を一緒に考えたいのです。では新約聖書のヘブル人への手紙の2章の14節から15節をリビング・バイブルで読んでみます。

 「神様の子供である私たちは、血も肉もある人間です。 そこでイエス様も、血肉を持った人間の姿でお生まれになりました。 それは、人間として死ぬことにより、死の権力をふるう悪魔の力を打ち砕くためです。  これだけが、死を恐れて、一生涯、恐怖の奴隷となっている人々を、救い出す方法だったのです。 」
 
 このことばの中心点は、神の子イエス様が人間として十字架で死ぬことによってのみ、死を恐れて一生涯恐怖の奴隷となっている私たちを救出する方法です、と言っているのです。聖書は私たちが死ぬという現実は自然ではないと主張しています。死が私達にとって自然ならば私たちはそれを受け入れることができるはずです。聖書は死は不自然なもの、私たちには受け入れがたいもの、むしろ恐怖の奴隷として私たちを縛りあげるものだ、と言っています。理由は死の力を持った悪魔の支配に私たちは置かれているからです。ですからこの死の力を振るう権力者には同じ死をもって力を振るう権力者が必要なのです。まさに毒を持って毒を制すということですね。神の子イエス様の苦難と十字架の死によって悪魔の死の力は打ち砕かれました。悪魔の持った死の力はイエス様の十字架の死によって消滅したのです。私たちはこのイエス様の十字架の死が私のためであると信じて仰ぎ見ることです。その時私たちを一生涯縛り続けていた死の恐怖の鎖は私たちから外れるのです。何万光年と言われる星の光は今私たちの地上に届いています。二千年前のイエス様の十字架の光は今の私たちにも届いているのです。

( PBA制作「世の光」2012.4.4放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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