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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■永遠の命を得るために / 関根弘興

2012年04月23日 | Weblog
2012/4/23放送

 世の光の時間です。元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 私たちがどうしても自分で解決できない問題があります。それはですね「死」という問題です。

 ヨハネの福音書の中にこんな出来事が記されています。ベタニヤという小さな村にマルタとマリヤの兄弟であるラザロという人がいました。この人が病気になり、ついに死んでしまったんです。イエス様は悲しみに沈むこの姉妹の所に行きましてこのように言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ 11章25節) イエス様はこのことばを通して何を示そうとされているのでしょう。

 第一にイエス様は死というものは終わりではないということを語られたんです。死は容赦なく例外なしにすべての人を襲います。しかしイエス様はその死は終わりでないと言われたんですね。

 二番目は、死を乗り越える命があると言われたんです。イエス様は死んでも生きる世界があるのだと言われた訳です。死を乗り越える命があるのだと教えられたんですね。

 そして第三にイエス様ご自身がその生命そのものでイエスを信じる者は死ぬことがないと言われたんです。

 でも考えてみればイエス・キリストを信じたって私たちはいつかは誰も死を迎えますよね。イエス様は偽りをそれじゃ言われたのでしょうか。違うんです。イエス・キリストがご自分の生涯をかけて取り組まれたこと、それは私たちが避けることのできない二つの問題に対して解決の道を提供したということなんです。

 一つは先ほど言ったように死という問題、そしてもう一つは私たちの心の罪の問題なんです。聖書は「罪から来る報酬は死」(ローマ 6章23節)であると書かれています。ということは罪の解決のあるところに死の解決があり、死の解決はまた罪の解決に繋がっているということなんです。イエス様が来られた目的はこの二つの解決のために来てくださったんです。

 それでは一体どのような方法で解決の道を与えたのでしょう。それはイエス様があのむごたらしい十字架についてくださったということから始まるんですね。教会には十字架がシンボルマークとして飾られています。また十字架のネックレスをしている人も大勢いますよね。本来十字架は処刑の道具です。でもどうして飾られているんでしょう。なぜならばイエス・キリストの十字架こそ私たちの罪の身代わりの十字架であり、そこに命をかけた愛が表されているからです。そればかりか、イエス・キリストは三日目によみがえって、死を乗り越える命があるということを示されました。このイエス・キリストを信じる時、死を乗り越えた命が一人一人に与えられるのです。

  (PBA制作「世の光」2012.4.23放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



 

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