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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■復活の事実の故に / 関根弘興

2012年04月09日 | Weblog
2012/4/9放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。今週はイースター・スペシャルをお届けしています。

 イエス・キリストが十字架につけられ死なれましたけれども、三日目の朝よみがえられた、と聖書は記しているんです。この復活を記念し、世界中の教会がこの復活祭をお祝いする訳ですね。もし2000年前に新聞があったら金曜日の夕刊には「キリストと自称していたイエス、十字架で処刑される」、そして日曜日にはこんな見出しが載ったかもしれませんね。「イエスの身体、突然墓から消える。ミステリー。様々な憶測を呼ぶ!」ま、イエス・キリストの葬られた墓が空っぽになっていた訳ですから、ま、いろんな憶測が生まれた訳です。

 その一つは、ま、墓を間違えたというような憶測です。でも墓を間違えるというのは一人二人間違えるなら分りますけども、すべての弟子たちが間違ったというのはどうも説得力がありませんね。

 もう一つの憶測は、いやイエスは死んだのではなく重傷を負っただけだという訳です。気絶しただけだ、と考えるわけですねえ。聖書には何人もの人たち死刑に立ち会っています。そしてその道のプロが死亡を確認してわけですから、これも説得力がありません。

 いやー、死体を誰かが持ち出したに違いない。・・・ま、盗難説というのもある訳です。でも誰かがイエスの死体を持ち出して盗んだとするならば、イエス様の死後、弟子たちが大胆に何を語ったかっていうと、復活されたイエス・キリストを語った訳です。もしユダヤ当局者がイエス様の遺体を盗んだなら、直ぐに弟子たちに遺体を見せれば弟子たちの影響力なんか何にもありませんよね。

 また弟子たちが遺体を隠したとするなら恐れに満ちていた弟子たちがあんなに大胆に、イエス様は復活したなどと語るはずがありません。

 結局最も納得できる説明は、確かにイエス・キリストは十字架について死なれた、しかし三日目によみがえられた、ということなんです。

 その後の弟子たちの行動や態度を見るときにイエス様の復活がなければ説明できない姿が沢山あります。

 そしてイエス・キリストが十字架につけられ復活したというのはどういう意味があるんでしょうか。それはイエス・キリストが十字架につけられる前に語られたすべての約束が本当に確かなものなんだ、太鼓判が押されるということなんです。

 イエス様は「わたしを信じる者は死んでも生きる」とおっしゃいました。まさにイエス・キリストの復活によって信じる者への約束が保証されたということなんです。

 ですから弟子たちは大胆にイエス・キリストの復活を語りました。そして今、同じようにイエス・キリストは生きていて、信じるあなたに命を与えてくださるのです。

  (PBA制作「世の光」2012.4.9放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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