世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「信仰によって待つ」です。 それでは、聖書の中のヘブル人への手紙11章8節から読んでみましょう。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」
ヘブルの著者は、「信仰によって礼拝すること」、「信仰によって働くこと」を語り、つぎに「信仰によって待つこと」を語っています。 いわゆる「信じて待つ」ということですねえ。 そして信仰によって待った人の具体例として、旧約聖書の中に出てくるアブラハムとサラという夫婦の物語を取り上げるのです。
アブラハムとサラは神様に祝福を約束されて、生まれ故郷を出て、神様の示された約束の地に移り住んだ人です。 アブラハムとサラは、目に見えない神様の祝福の約束を信じて、実際に移住の旅へと出ました。 しかし、その道中にも、また新しい土地に移り住んでからも、子どもは生まれず、子孫繁栄の望みは絶たれていくかのように24年の時が空しく過ぎていくのです。 いつしか二人の身体はすっかり年老いてしまっていました。
ところが、アブラハムが99歳、サラが90歳になった時に神様は再び現れて、子どもが生まれる祝福の約束を繰り返すのです。 アブラハムには信じ難いことでした。 アブラハムは「90歳の女に子どもが生まれようか」(創世記 17章17節参照)とつぶやいていますし、サラも「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(創世記 18章12節)と、心の中で笑いました。
しかし神は、「主に不可能なことがあろうか。」(創世記 18章14節)と教え諭され、その後、最初の約束から25年目にして神の約束の実現を見ることになったのです。
実に信仰というのは、神の約束の実現を待つことです。 ひたすら神の時が来るのを待つ。 じっと良き結果を望み見て待ち続けることも信仰の働きですねえ。 実際、待つことは最も難しい人生の訓練です。 私たちはなかなか物事が待てないものですし、短気にしびれを切らしてしまいます。 しかし真に信仰を持つ人は、神の約束が神の時間において実現することを心得ている人です。 この世のあらゆる事柄が、神のご計画の中で、神の支配の中で動いていると理解している人です。 私たちの人生においては待たされていると思わされる時があることでしょう。 しかしそのような時にこそ自分の信仰が試されている、神を信頼する時であると覚えたいものです。
(PBA制作「世の光」2010.2.25放送でのお話しより)
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