世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義です。
旧約聖書ダニエル書1章に一つの戦いが記されています。 紀元前6世紀初頭のその頃、神の民イスラエルはバビロン帝国に支配され、バビロンの王ネブカデネザルの圧倒的な支配のもとに置かれていました。 絶対的な窮地に立たされていたイスラエルの民の中に、まだ10代前半であったと思われる少年ダニエルがいました。 ネブカデネザル王は優秀なイスラエルの少年たちを自分に仕えさせようとし、彼らに王の食事を提供しようとした、と聖書は言います。
聖書にこうあります。
「王は、王の食べるごちそうと王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当て、三年間、彼らを養育することにし、そのあとで彼らが王に仕えるようにした。」(ダニエル書 1章5節)
まことの神ではない人間に過ぎない一人の王が王に仕えさせるために王の食事を与えようとした。 それゆえこの王の食事は、もはや単なる食事の問題ではありませんでした。 まことの神にのみ仕えるのか、それとも人に過ぎない王に仕えるのか、という選択がここで迫られたのです。
そして残念なことに多くの者たちは、この食事を享受し、身も心も王に仕えるようになってしまいました。 あの王の食事を拒むということは間違いなく死の危険を招く行為でした。 ですから多くの者たちは妥協の道を選び、仕方がない、ということばのもと、まことの神だけに仕えるという生き方を諦めてしまったのです。
しかしダニエルは違いました。 ダニエル書1章8節に、
「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、」とあります。 ここでの「身を汚すまい」ということばは、「身を贖(あがな)われまい ---身を買い取られまい--- 」という意味を持つことばです。 すなわちダニエルは、自分を造り自分をこれまで愛し守ってきてくださった神様を忘れたりはしない、人間に過ぎない王に仕えることなど絶対にしない!、と心に定めたということです。 自分はあくまでも神様のものであり、神様にのみ仕えるのだ、というダニエルの堅い信仰がここに窺(うかが)えます。 仕方がない、と嘆く妥協の道を選ぶのではなく、まことの神様にのみ信頼して仕える者を神様は祝福してくださる。 そのことを心に留め、日々歩むものでありたいと願わされます。
(PBA制作「世の光」2010.2.13放送でのお話しより )
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