世の光の時間です。 お元気でお過ごしですか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
新約聖書の後半にある手紙、第一ヨハネの中から御紹介いたしましょう。 1章3節。
「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」
今読みました箇所には「私たちの交わり」とか「キリストとの交わり」ということばが出てきますね。 あまり日常では「交わり」ということばは使わないかもしれません。
この「交わり」と訳されることばはギリシャ語ではコイノニアと言います。 コイノニアとは、もともと何かを「共有する」とか「分担する」という意味があるんですね。 ですから聖書で「キリストとの交わり」と言っているその意味は、キリストの持っているいのちを私も持っています、という姿のことですね。
この交わりという意味は、お茶を一緒に飲む時間とか一緒に話をする時間とか、いわゆる交流をする時間という意味でまあ使われることが多いのですけれど、先ほど言ったように本来、「キリストのいのちを共有する」ということが大きな意味なんです。
でもこれ、考えれば考えるほど素晴らしいことですよね。 聖書の中にこういうことばがあります。 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(2コリント 4章16節)
ま、考えてみてください。 私たちの身体はたくさんの細胞から成り立っています。 でも10年前の細胞というのはみんな無くなっていますよね。 新陳代謝で細胞はいつも新しくされていく訳です。 古い細胞は無くなってしまいます。 でも、私という存在は決して変わりませんねえ。 いのちがあれば古い細胞は無くなり、でも新しくされていく訳です。
私たちの外なる人は衰えていきます。 しかし内なる人は日々新たにされる、と聖書は語っています。 イエス・キリストを信じる者に与えられる永遠のいのちに生かされるということは、たとえ外側が変わったとしても決して変わることのないいのちに生かされているのだ、と言うんです。
今は冬です。 木々はみな枯れています。 しかしこれから春を迎えると新芽が吹き、緑の葉をつけます。 そこにいのちがあるからです。
私たちの人生にはいろいろなことがあります。 途方に暮れてしまうことがあります。 倒れてしまいそうになることもあります。 窮することもあります。 しかし私たちはどういう状況に置かれましても、行き詰ることがない。 見捨てられることがない。 滅びることがない。 イエス・キリストのいのちがあるんです(2コリント 4章8-12節参照)。 だからヨハネは、このキリストとの交わり、永遠に変わることのないいのちをあなたにも持ってもらいたいと願っているんです。 それは、ただイエス様を救い主として信じ受け入れるだけでこのいのちはあなたの中に与えられていくんですね。
(PBA制作「世の光」2010.2.16放送でのお話しより)
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