世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。
今日のバイブル・メッセージは「信仰と望み」です。 それでは聖書の中のヘブル人への手紙11章1節から読んでみましょう。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
先日、ある教会を訪問しましたら、「先生、世の光のラジオ放送、毎週聞いています。 先生は今、ヘブル人への手紙を連続して話しておられますねえ。 その前はヨハネの福音書でしたねえ。」と声をかけられました。 お話しを聞きながら、この人はずっと聴き続けていたことが分かりましたが、何よりも聖書を良く理解しようという姿勢に教えられました。
思うのですが、やはり聖書というのは流れを良く理解しながら読んでいくことが大切であるように思います。 いろいろとつまみ食いのようにあちらこちらを拾い読みするのではなくて、丹念に最初から積み重ねていくように読んでいくのです。 そうすれば聖書が本当に伝えようとしていることを私たちは良く理解できることでしょう。 もし今日初めて聖書に触れたという人がおりましたら、この機会にぜひご一緒に聖書を読んでいただきたいようにも思います。
さて11章は信仰の賛歌と呼ばれ、信仰に生きた人々の例が並べられています。 そこでちょっとこれまでの流れを振り返ってみますが、この手紙の著者は、これまでイエスの素晴らしさについて繰り返し語ってきています。 そのため当時のユダヤ人が優れたものとして敬意を払っていたものをとりあげて、それをイエスと比較してきました。 例えば天使や、古い昔にイスラエルの指導者であったモーセをとりあげて、イエスはモーセよりも素晴らしいと語ります。 更にそのように語ることによってヘブル(書)の著者はイエスの素晴らしさだけではなくて、そのイエスが成し遂げてくださったことの素晴らしさへと私たちの目を向けるのです。 つまりイエスは十字架によって私たちの罪を赦し、私たちが神の似姿に変えられて、神の聖さや愛や正しさに与る救いを与えてくださいました。 それは確かであるし完全な素晴らしい救いである、と語っている訳ですね。
さて、その素晴らしい救いを手に入れるものは信仰です。 まだ目に見えない神の救いの素晴らしさを確信させるのは信仰なのです。 信じられたらいいのになあと思いますか? そうではありません。 信じられないものを信じる決断が求められているのです。 信じてみませんか?
(PBA制作「世の光」2010.2.4放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
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そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
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介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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