ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東四国第六十七番霊場-小野市中谷町の観音堂

2017年06月13日 05時29分13秒 | Weblog
 

 県道神戸加東線の小野市と加東市大畑との市境に近い小野市中谷町を車で走っていると、豊地(といち)城址の看板と道路の南側の土塁の一部が見えます。北側に東条川が流れており、中世には赤松氏の家臣であった依藤氏の城だったとのことです。
 土塁とともに目にとまるのが、きれいに整備されたお堂です。このお堂が加東四国八十八ヶ所霊場の第六十七番の観音堂です。神戸からの帰り、夕日が西に傾き、田植えで水が張られた田圃の水面を照らす頃、県道からお堂への細い道に入りました。
 お堂の前には、2本の石碑が建てられており、その1つは加東四国霊場の札所の石碑です。「分け入るや住行向地遠ければ 豊地より先ず足がためせん(わけいるや すみゆくみちの とおければ といちよりまず あしがためせん)」の御詠歌が刻まれていました。
 もう一つの石碑は、豊地城の史跡を示すもので、城の由緒が刻まれていました。南北朝時代には金谷経氏、その後依藤氏が城主であったことなどが記されています。
 六十六番の大畑の阿弥陀堂が東の山の中腹に望めます。また、次の六十八番は加東市の東垂水の薬師堂へと巡拝していきます。
  
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