ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

上東条村の忠魂碑

2009年03月12日 06時05分42秒 | Weblog
 加東市天神を通る県道小野藍本線が西脇三田線と交差する天神北交差点の中国縦貫道ボックスの南側すぐそばの小高い山に應現寺があります。
 車を道路脇に止めて、コンクリートの急な坂道を歩いてのぼると竹藪を抜けたところに應現寺の本堂がありました。さらに脇の小径を登っていくと、小山の上に明るく開けた一角があり、その中央にさらに小高く盛られた区域が一気に目に飛び込んできました。
 石の鳥居、そして階段の上には天に向かって屹立する一本の石碑、石碑の前には陸軍の桜のマークが入った茶色に錆びた砲弾が立てられ、石碑の後ろには神社の本殿風の建造物がありました。「ああ、これが上東条村の忠魂碑だ」。東条の古老からだいたいの話を聞いていただけだったので、まるで導かれるように間違わずに辿り着けたことがうれしくなりました。
 忠魂碑は写真のように細長い石柱に「忠魂碑」と彫られています。裏には、大正十二年三月 元帥陸軍大将子爵 川村景明書と彫られていました。この歴史ブログで他の地域の忠魂碑を紹介していますが、社町の忠魂碑(現、加東市社の明治館の敷地内)も川村大将の揮毫です。社町の忠魂碑は大正15年の建立ですから、上東条村の碑はそれより3年前に建てられています。川村大将は薩摩出身の陸軍軍人で、日露戦争では鴨緑江軍司令官として奉天会戦などで活躍した人物です。日露戦争後は子爵となり、大正4年には元帥、その後在郷軍人会会長をつとめています。大正時代のはじめには、全国的に忠魂碑建設ブームが起こりましたが、川村大将は多くの忠魂碑の揮毫をしています。
 鳥居の側に桜の古木が植わっています。もうすぐ桜も満開となるでしょう。その頃にもう一度訪れ、英霊の御魂に祈りを捧げたいと思いました。
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