ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

貝原の道標

2007年07月16日 06時32分13秒 | Weblog
 久しぶり(約一ヶ月ぶり)の投稿です。
 台風4号の雨で増水した加古川のようすを見ながら、国道372号線に架かる福田橋を西から東岸へ渡るとそこは加東市貝原。橋から20メートルほどのところを右折するとすぐに国道372号のバイパス工事現場があります。ここに薬師堂や墓、小宮があります。
 その境内の大ケヤキの根元に一本の道標がもたれかかるように置かれていました。道路工事の関係で一時的な避難かなとも思われるような置き方でした。(写真:ケヤキの根元に斜めにもたれかかっているのが道標。手前にまっすぐ立っているのが百度石、向こうの建物が薬師堂)
 道標には「右 きよみづ」「左 □(志)ん町 たか郡」と刻んであります。また、「加東四国 第三十三番霊場」「文政七申四月立」「四国同行中」と各面に刻んであり、この薬師堂に関係のある道標であることがわかります。
 文政七年ですから西暦1824年。今から183年前に立てられた古い道標です。加東四国八十八ヶ所霊場では三十二番は鳥居、次の三十四番は河高になっています。
 ちなみに大ケヤキは社町の保護樹に指定(昭和60年)されている古木です。薬師堂の近くで草を引いておられたお年寄りに道標のことを聞いてみると、「新しく道がついて、まるで昔と姿が変わってしまいました。さて、どこにあったかいな」とつぶやきながら周囲を見回しておられました。
 この道標はいずれ大切な地域の歴史遺産として保存されるだろうと思います。
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