昭和20年(1945)の終戦直前の8月、本土決戦が叫ばれる中、鶉野飛行場(現加西市)などへの出役(勤労動員)に関する社区(現加東市社)の各組の員数割当表が当時の文書に綴じられています。
鶉野(海軍)は橘部隊、出役は午前7時集合、法華口駅下車指定場所と書かれています。8月5日から10日まで、各組から数人ずつ計110人が割当られています。また高岡(陸軍)は鏑部隊、午前7時集合、高岡廠舎の裏門前。7月31日から8月2日まで同様に計112人の割当がなされています。朱書きで鶉野は「女でもよろしい」、高岡は「必ず男が出役すること」となっています。
今、加西市では鶉野飛行場跡を整備しようとしていますが、当時、社区からも鶉野まで勤労動員として多くの人が出ていたこともこうした文書によって分かります。
鶉野(海軍)は橘部隊、出役は午前7時集合、法華口駅下車指定場所と書かれています。8月5日から10日まで、各組から数人ずつ計110人が割当られています。また高岡(陸軍)は鏑部隊、午前7時集合、高岡廠舎の裏門前。7月31日から8月2日まで同様に計112人の割当がなされています。朱書きで鶉野は「女でもよろしい」、高岡は「必ず男が出役すること」となっています。
今、加西市では鶉野飛行場跡を整備しようとしていますが、当時、社区からも鶉野まで勤労動員として多くの人が出ていたこともこうした文書によって分かります。
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