今年の7月、社総合病院は加東市民病院に改名しました。「社病院」という名に親しんできた住民にとっては少し寂しい感じもしますが、新生加東市建設にふさわしい新しい病院づくりのスタートと受け止めています。
今から50年余り前、昭和の大合併で社町が誕生しましたが、新町建設のシンボルの一つとして設置されたのが、社病院(社町総合病院)でした。昭和31年(1956)、現在の市民病院のある千鳥川畔に建設位置が定められ、同年3月に地鎮祭、4月には上棟式が行われています。
本館、病棟、自動車車庫からなる木造瓦葺の堂々たる近代建築で近隣はもちろん、県下でも類例を見ないほど立派な病院だったということです(写真)。当初は内科、外科、産婦人科、耳鼻咽喉科、小児科、レントゲン科の6科、50病床で発足し、のちに眼科を加えて7科がそろった充実した内容だったようです。
今から50年余り前、昭和の大合併で社町が誕生しましたが、新町建設のシンボルの一つとして設置されたのが、社病院(社町総合病院)でした。昭和31年(1956)、現在の市民病院のある千鳥川畔に建設位置が定められ、同年3月に地鎮祭、4月には上棟式が行われています。
本館、病棟、自動車車庫からなる木造瓦葺の堂々たる近代建築で近隣はもちろん、県下でも類例を見ないほど立派な病院だったということです(写真)。当初は内科、外科、産婦人科、耳鼻咽喉科、小児科、レントゲン科の6科、50病床で発足し、のちに眼科を加えて7科がそろった充実した内容だったようです。
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