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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和11年-小学生へ傘を

2008年01月31日 06時42分45秒 | Weblog
一本の傘に3人が・・・

 数年前まで小学校に入学する子どもに対して、からお祝いとして傘が贈られていました。最近は物騒な世相を反映して警報ブザーが贈られていると聞きます。
 さて、ここに昭和11年(1936)の年末に社小学校(尋常・高等)の校長から各区長に宛てて生徒への傘の配慮をお願いしている文書があります。校長は「中には一本の傘にて三人帰路につき居る現状など目撃し」と現状を訴えています。
文書には各ごとの生徒数、傘数、一人当たりの傘数の一覧表が添付されています。16中、一人一本充足しているのは一のみという状況です。
名、傘数、生徒数、一人当たり本数の順で示した一覧です。

 
社東  10本  101人  0.10
社南   7本   84人  0.08
社北   5本   88人  0.06
山国  30本  135人  0.22
松尾  19本   46人  0.41
出水  12本   45人  0.27
田中  28本   43人  0.65
鳥居  15本   30人  0.50
貝原  13本   31人  0.42
野村  53本   64人  0.83
西垂水 25本   25人  1.00
窪田  74本   93人  0.80
家原  19本   66人  0.30
上中  10本   81人  0.14
喜田  22本   37人  0.59
梶原  20本   37人  0.54
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昭和20年6月-勤労奉仕免除願

2008年01月31日 06時18分21秒 | Weblog
兵器生産を優先

 昭和20年6月、敗戦直前の頃ですが、社区の書類綴の中に一枚の証明書が綴じられています。内容は、兵器工場従事証明書で、勤労奉仕の出動を免除してほしいというものです。戦況が厳しくなるなか、銃後においても飛行場整備や松根油採取などの勤労奉仕への出動割当が出されていました。この人がどのような兵器生産に従事していたか分かりませんが、本土決戦を覚悟していた当時の緊迫した空気が感じられます。
 

証明書
   住所 加東郡社町社○○○○
         氏名   □□□□

右ノ者当工場ニ於テ重要兵器生産ニ従事中ノ処
今般勤労奉仕ニ出動方下命有之候得共
右ハ軍ノ作戦上最モ緊急ヲ要スル兵器ノ増産ニ支障ヲ
招来スルコト尠カラス
仍而特別ノ御詮議ヲ以テ出動免除方御取計ヒ願度此段
証明傍々及御依頼候也

  昭和二〇年六月十七日

      神武報国第七工場長
             島津澤次郎

      殿

 右証明ス

      神武報国第七工場陸軍監察官
       陸軍技術注意  生方健治 
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