ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

銃後の便り-2

2006年09月21日 05時52分01秒 | Weblog
小国民のふるさと便り

 昨日に続いて、「銃後の便り」に掲載されている「小国民より」と題した小学生から戦地の兵隊さんへの便りを掲載します。

        初等科第六学年一組    中嶋邦夫

 暑くも寒くもないこの季節。内地は、今、猫の子の手もかりたい程いそがしい稲刈の真最中。どこを歩いてもざっくざっくといふ稲を刈る音。この稲を刈る音が少し静かになり、稲をこく音が聞こえる時分は、我々少年団の世の中である。
 小さい少年少女戦士が鉄砲の替りに、「チョノガ」をもって出征兵士の家のかぶきりを手伝ひに行くのである。去年、かぶきりの手伝ひをしてあげると、百姓さんたちは非常に喜ばれた。其の喜ばれる顔が今でもまざまざと僕の心にきざみこまれている。
 ある日の朝、新聞がミシンの台の上にのせてあった。新聞を見ていると、父が起きてきて「新聞を持って来なさい」と言はれた。だが僕は持って行かなかった。父がもう一度「お前は新聞がきらいぢゃないか」「すきだ」「ほー、何時の間にすきになったのかな」と不思議がられたことをおぼえている。
 それはそうだ。此の頃の新聞は我が無敵陸軍がどこを占領したとか、海軍が何々海戦で戦艦や巡洋艦を何隻撃沈したとかいふ痛快な記事が記してあるからです。此の新聞によって戦線の様子がわかるのである。
 戦線はよいが銃後はどうであろうか。我々銃後国民は銃後奉公の誓をよく守り、物を大切にし、進んで貯蓄をし、この国難に勝ち抜ける体をねり鍛へ、戦線も銃後も一致して、ますます日本の国威を全世界へ記しませう。
 どうか銃後は御心配なく。御身を大切に。さようなら。


 この便り(作文)を書いた中嶋邦夫さんがご健在なら、70歳代半ばに達しておられるはず。稲刈りの頃に小学生がチョノガを持って手の足りない家をまわってかぶきりの奉仕作業をしていたことを知りました。今の子ども達は田圃に行って稲刈りさへすることもほとんどありません。自然体験が不足している子どもたちのためにさまざまな体験イベントが企画され、子ども達はわざわざそこに参加して川遊び、山遊び、そして田圃仕事を体験するようになっています。
 時代が違えば子ども達の生活や意識もこんなに違ってしまうのかと思ってしまいますね。

コメント
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