ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

新町のにぎわい

2006年08月08日 11時47分32秒 | Weblog
明治末~大正はじめのころの新町

 上の絵は、今から約80年あまり前の加東市新町(旧滝野町新町)の街並みと通りのにぎわいを描いたものです。
 この絵は、新町在住の日本画家、尾縣斎さんが滝野東小学校での地域学習用資料として自ら描かれたものです。今回は尾縣さんのお許しをいただき、紹介します。
 
 さて、この絵をよく見てください。みなさんはどんなところに目をつけますか?
小学校4年生がこの絵を見て、気が付いたことは次の通りです。
・牛や馬がいる
・自動車が走っていない、人力車が走っている
・物売りのような人がいる
・子守りをしている
・家の屋根が青い・・・
などいろいろ細かいところまで観察していました。
 その中で、ある子どもが、道が広いことを指摘しました。たしかに広く見えます。新町のメインストリートは実際に広いのです。牛や馬、荷車が通ったり、つないだりするために広くつくられていると聞きました。
 人力車を知らない子どももいましたが、乗り合い馬車も描かれていて、子どもの注目を集めました。大正のはじめ、乗り合い馬車で、社、土山まで客を運んでいたようです。
 
 新町は今から約400年前に、加古川の舟運の町として開かれたました。近郷の村々から年貢米がこの新町に運ばれ、高瀬舟に積み込まれて、河口の高砂まで運ばれます。さらに海路、大阪まで運ばれたのでした。陸路を大阪まで運ぶより、河川や海路を使って船で運んだ方が大量に運べたわけです。
 それにしても、この絵に描かれた新町はにぎわい、活気がありますね。瓦屋根の大きな家が建ち並び、広い通りには人や荷車などが出て、声や音が聞こえてきそうです。
 今の新町は、道路は舗装され、カラフルな色の新しい家が建っています。しかし、朝夕の通学通勤時間帯をのぞけば人通りも少なく、活気はありません。
 高瀬舟の舟運とともに開かれ、栄えてきた河岸の町、新町。今ではかつてのにぎわいを知る人も少なくなってきました。しかし、この絵によって新町の過去の記憶をいきいきと再現することができるようになりました。
 
コメント
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