松濤美術館 前期:12月1日-27日、後期:1月5日-24日
村山槐多(1896-1919)の作品をまとめて見たいという想いは随分前からあって、機会をねらっていたのだが、なかなかなかった。没後100年の10年前にこうしてみることが出来たのは幸運である。
ただ、考えてみると槐多については、東京国立近代美術館へ行けばほとんどいつでも見られる「バラと少女」、そして洲之内徹のちょっとした言及のほか、何かといっても、思い浮かばない。
こうして見ると、まず、「カンナと少女」(1915)はいい絵である。「バラと少女」(1917)に共通するところが多いけれども、よりストレートで、澄んでいて。
何枚かの自画像は、どちらかというと冷静な観察力。
これらのほか、人物を描いたものは、ブロンズ像のような硬い表面、静止感があり、しかも切れば血が噴出しそう。この両面併せ持っているところは、長く見ていて飽きない。
そして展覧会の副題にもあるガランス、これは茜色の染料系絵具のことだそうで、槐多はこれを多用した。彼の詩の中でも、ガランスには特別のポジションが与えられている。
こうして説明されると、関根正二(1899-1919)のヴァーミリオン(顔料系)との対照は明確である。それにしても同じ年にこの二人が夭折とは。
ところで「湖水と女」(1917)の風景の前に女性を置いた構図には、ここで説明にもあるとおり明らかに「モナリザ」の影響がある。河野通勢、土田麦僊にも同様の構図を持つ有名作品があるけれども、あれは多くの画家に何かを喚起したのだろう。
また槐多は風景画をたくさん描いていて、油彩のものはヨーロッパ表現主義の影響を受けたもののように見える。これがなかなかいいのである。
信州を描いたものが多いが、これは教えも受けた山本鼎との縁だろうか。槐多と山本鼎が従兄弟同士というのは、知らなかった。
図録は、情報量が多く、持つ価値がありそうだ。