「アイム・ノット・ゼア」(I'M NOT THERE)(2007年、米、136分)
監督・原案・脚本:トッド・へインズ
クリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショー、ジュリアン・ムーア、シャルロット・ゲンズブール、ミシェル・ウィリアムズ
ボブ・ディランの6つの側面をクリスチャン・ベイル、ケイト・ブランシェット、マーカス・カール・フランクリン、リチャード・ギア、ヒース・レジャー、ベン・ウィショーの6人で演じ分け再構成しようという映画。
見る前は順にオムニバスで、と思ったのだが、そうではなくていろいろシャッフルするように入ってくる。
フォーク・シンガーとして成功し、その後の変化にマスコミや社交界がとまどう、という場面ではケイト・ブランシェットが演じている。見事である。これでオスカー助演女優賞にノミネートされたし、他ではいくつかの賞をとっている。
ここを彼女に演じさせようと企画したところで、この映画はある程度の成功を確保したのだろう。
私もケイト・ブランショットが演じるからというので見る気になった。この詩人の本質を次第に表出させていく男の演技、その弱さと強さの両面、そういえばディランはこういう人だったかなと次々に感じさせる。
今、ちょうどその変身をとやかく言われたころのアルバム「DESIRE」(欲望、1975)のLP(持っている唯一のアルバム、解説を書いているのはこの映画にも登場するアレン・ギンズバーグ)を聴きながらこれを書いている。
レコードジャケットの姿は意外に健康そうで瑞々しい吟遊詩人風、帽子にスカーフの横顔は繊細な美人に通じる。
映画全体としては必ずしもわかりやすいとはいえない。特に前半は眠くなりそうだったが後半からはまずまず。もっとこのころのミュージックシーンになじんでいるか、ディランを広く知っていれば別だろうけれど。
6つのキャラクター以外では、夫人を演ずるシャルロット・ゲンズブールはうまくなった。俳優としては両親(セルジュ・ゲンズブール、ジェーン・バーキン)を超えたかもしれない。
何回か見ればもう少しという感もあるから、レンタルになったらまた見てみよう。