「わたしを離さないで」( Never Let Me Go )(2005)
作:カズオ・イシグロ、訳:土屋政雄 (早川書房)
こういう書き方がありうるのだろうか。小説だからとっぴな形式もあるとはいえ、またこの作家が、という驚きがまずある。
作:カズオ・イシグロ、訳:土屋政雄 (早川書房)
こういう書き方がありうるのだろうか。小説だからとっぴな形式もあるとはいえ、またこの作家が、という驚きがまずある。
物語は1990年代イギリスのとある地方にある少年少女が暮らす施設からはじまる。はじめから終わりまでここで生活した経験を持つ一人の女性の語りという形式が取られている。魅力的な語り口である。
少しずつだが、それでもここの人たちはクローン人間(複製人間)で、だから出自はなく家族もなく、子孫は作れず、いずれ臓器提供者になるか、その介護人になるかのどちらかであるということは、しばらく読むとわかってくる。直接的ではなく巧妙な書き方である。
読んでいくうちにあれっと思うのは、この人たちは通常持っている背景としての過去がないからかもしれないが、その運命をうらんだり、この見えているコースに極端なおそれを抱いてはいない。そのなかでそれでも人と人の関係があり、それがどう思われ、その結果どう傷つき、それに対処していくかが綴られていく。
読んでいくうち、これは臓器提供者の話としてではなく、読んでいる我々のことではないかと思えてくる。すなわち我々の中には何らかのコピーがいくつもあり、そして生きていく中で何かを提供し、誰かを介護し、という風に、様々に解釈できる。
おそらく作者はそういう読み方も想定して書いているにちがいない。
あたかも、人が現在と未来のみを考え、どう生きるかに悩み行動するとすればどうなるのか、をえがいているようだ。
本作の二つ前「充たされざる者」(1995)は未読(存在を最近まで知らなかった)だが、他の「遠い山なみの光」(1982)、「浮世の画家」(1986)、「日の名残り」(1989)、「わたしたちが孤児だったころ」(2000)、これらにおいては何らかの過去の大きな存在、そして何らかの後悔、こういうものに人はいかに向きあい生きていくかということが、テーマの一つになっている。
それは母であったり、男女の愛であったり、戦時の姿勢であったりする。強い過去が問題であるから、物語の細部の書き方もリアリズムが要求される。もっとも前作では戦時の上海租界におけるキッズの話がどこかお伽噺風であり、変化を感じさせる予感はあった。
本作の結末はその前作のようにあっと見事なという体裁はとらないが、納得はいく。勇気を与えられると言ったらおおげさだろうか。
原題の「Never Let Me Go」は、話の中に出てくるカセットテープに入っている曲名。「わたしを(このまま)行かさないで」である。行くことにはなる、過去には戻れない、しかしここにとどまっていたいこともある。