やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく
梯 久美子 著 文春文庫
やなせたかし(1919-2013)についてはいろんなメディアで名前をきく人というイメージはあったが、一番のヒット作であるアンパンマンについてはもちろん評判になっていることは知っていたが、テレビアニメが始まった1988年は仕事その他でそれどころでなくこれまできた。
この書下ろしの評伝は多分出版社の意図でNHK朝ドラにぶつけたのかもしれないが、そういうこととは別に、あの世代の生涯として読みごたえがある。
高知に生まれ、絵に才能はあったが、芸大はかなわず、どちらかというと図案系コースに行き、就職、召集となり、中国に行くが幸い激しい実戦にあうことなく帰国、高知新聞社に就職、やがて月刊誌に携わる、このあたりからデザイン、作詞、ミュージカルと、いろんな人との縁で、活躍の場が広がっていく。この昭和30年代~40年代はああこの人もこの人もと、私が知っている人たちと様々な縁があり、そうだったのかとなつかしくもある。
中でもまだ作家として名を成していないやなせの作品を世にだすために、なれない出版を始めてしまった辻進太郎という人はユニークだ。知らなかったが、後にハローキティのサンリオを創業する。その他盛りだくさんで、昭和史としても読みがいがある。
今回、読んでみようと思ったのは、なにより書いたのが「この父ありて」の梯 久美子だったからで、その時も感心したのだが対象への寄り添い方、文章の明快なこと、読んでいて気持ちがよかった。
梯 久美子 著 文春文庫
やなせたかし(1919-2013)についてはいろんなメディアで名前をきく人というイメージはあったが、一番のヒット作であるアンパンマンについてはもちろん評判になっていることは知っていたが、テレビアニメが始まった1988年は仕事その他でそれどころでなくこれまできた。
この書下ろしの評伝は多分出版社の意図でNHK朝ドラにぶつけたのかもしれないが、そういうこととは別に、あの世代の生涯として読みごたえがある。
高知に生まれ、絵に才能はあったが、芸大はかなわず、どちらかというと図案系コースに行き、就職、召集となり、中国に行くが幸い激しい実戦にあうことなく帰国、高知新聞社に就職、やがて月刊誌に携わる、このあたりからデザイン、作詞、ミュージカルと、いろんな人との縁で、活躍の場が広がっていく。この昭和30年代~40年代はああこの人もこの人もと、私が知っている人たちと様々な縁があり、そうだったのかとなつかしくもある。
中でもまだ作家として名を成していないやなせの作品を世にだすために、なれない出版を始めてしまった辻進太郎という人はユニークだ。知らなかったが、後にハローキティのサンリオを創業する。その他盛りだくさんで、昭和史としても読みがいがある。
今回、読んでみようと思ったのは、なにより書いたのが「この父ありて」の梯 久美子だったからで、その時も感心したのだが対象への寄り添い方、文章の明快なこと、読んでいて気持ちがよかった。