メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

山本周五郎「日本婦道記」

2022-05-27 10:07:15 | 本と雑誌
日本婦道記: 山本周五郎 著 (新潮文庫)
 
このタイトルだと手に取るのはためらわれる感じであるが、著者の作品の中でかなり重要な位置をしめるという指摘もあったような気がして、読んでみた。
昭和17年(1942) 6月から昭和21年(1946年) 1月まで「婦人倶楽部」を主要掲載誌として発表された。全31篇、そのうち11篇は著者遷で昭和33年に新調文庫に入ったが、平成30年に同文庫にすべてが所収だれた。一遍平均20頁、今回こうして読んでみると31篇かなりの量になる。
 
山本周五郎(1903-1967)の作品はかなり歳がいってから少しずつ読んでいて、古くはないが現在ではなかなか読む機会がないよき日本語がこころよい刺激になっている。
 
話の多くは武家の女性の話で、戦国時代、江戸時代それも平静な時期以外に、島原の乱つまり戦国以降最後の戦争、尊王攘夷の時期、そしてわずかに大戦中のものからなっている。
 
話の種になるものがどこまで実在するのかはわからないが、注を見ると実在する武家があることも多いようで、自然な背景になっているようだ。
 
タイトルにあるように日本の女性はこうであった、こうあるべきという一見して「婦道」の物語が多く、中編映画の題材になりそうなものもかなりある。
男性読者として複雑なところもあるのだが、注意して読んでいくと、各々の女性の考え、生き方は、そこに出てくる男性が理解するところまで描いていることが多く、その中には秀逸なものが少なくない。
まさに戦時中であり、もっと単純でも受け入れられたかもしれないが、一方的な書き方はしていない。

山本ほどの作者であれば、この大戦真っ只中に単に戦意高揚、銃後の心得に通じるものをただ書くのはこなすのは難しいことではなかっただろうが、それで納得できるわけではなかったにちがいない。
 
谷崎潤一郎の「細雪」のように、女性の主人公が実は男性の作者の化身になっていて、当局の批判を巧みにかわす、というところまではいかないが、描いている女性への理解は確かなものになっている。
 
31篇もあると、私が言うのは不遜だが出来のよくないものもある。ちょっとぐっと来たのは最初の方の「松の花」、「梅咲きぬ」。
また別の意味で好みなのは、時間が経って女と男が再びめぐりあう「墨丸」、「小指」。あの「伊勢物語」にちょっと通じるところもあって。
 

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