「バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラブ」
バート・バカラック著、共著:ロバート・グリーンフィールド 奥田祐士訳
原題:Anyone Who Had a Heart:My Life and Music
2014年 シンコーミュージック・エンターテイメント
バート・バカラックは1928年生まれ、年齢と業績からすれば自伝が出ておかしくない。バカラックの音楽についてもちろん知ってはいるものの、より注意が向いたのは歌を習い始めてからで、繰り返し練習する甲斐があるものということになるとこの人の作品を手に取ることが多かった。もちろん長くコンビを組んだハル・デヴィッドの歌詞も印象深い。
本書はおそらく共著者によるインタビューをもとにして作られたものだろうが、関係者たとえばアンジー・ディキンソン(元妻)、マレーネ・ディートリッヒをはじめ多くから、かなり辛口のものも含めて証言を採録していて、バカラックという人そしてその音楽を多面的に知ることができる。
この人は一応クラシック系の教育を受けたと言えそうだが、その世界でそんなに一流(学校が)のコースともいえないし、飛びぬけた才能を見せたということでもないようだ。一方で学生のころからバンドのアルバイト、徴兵されてからは音楽による慰問担当(というのか?)をやり、朝鮮戦争終了あたりから少しずつ世に出てくる。
あれだけの、つまり70曲以上のトップ40ヒットがあり、アカデミー、グラミー、エミーなどで数多く受賞したのだが、本書を読む限り、才能で音楽が降ってくるという感じではない。それはハル・デヴィッドも同様で、二人で時間をかけ念入りに作り上げていった結果が多いようだ。そういうものなのかもしれないが、その中で何が違うのか、結局言葉にするのは難しいということか。
私生活ではかなり人の特に女性の出入りがあって、欲が多い人だが、そう悪い、不誠実な印象はない。生きていくエネルギーは大きいのだろう。
ところで、この数年で読んだ「キャロル・キング自伝」、「レッキング・クルーのいい仕事」などとあわせると、1960年代、70年代あたりのミュージック・シーン(ジャズをのぞく)にかかわった人たち、その相互関係はだいたい見えてくる。広いようで狭い感じもある。ニューヨークでキャロルとバートは、それぞれ共にやっていた人たち、関係するエージェント、出版社などが、通りのちょうど反対側だったらしい。
もう一つ、バカラックはフランスの作曲家ダリウス・ミョーに習っている。彼以外でも、アメリカのポピュラー、ジャズ系の人たちは、こういうヨーロッパから亡命などで米国に来た実力ある作曲家、あるいはその直の弟子に教育を受けた人が結構いるようだ。確かマイルス・デイヴィスもそうだったと思う。このあたりがこの国の音楽が力を持っている一因ではないだろうか。
バート・バカラック著、共著:ロバート・グリーンフィールド 奥田祐士訳
原題:Anyone Who Had a Heart:My Life and Music
2014年 シンコーミュージック・エンターテイメント
バート・バカラックは1928年生まれ、年齢と業績からすれば自伝が出ておかしくない。バカラックの音楽についてもちろん知ってはいるものの、より注意が向いたのは歌を習い始めてからで、繰り返し練習する甲斐があるものということになるとこの人の作品を手に取ることが多かった。もちろん長くコンビを組んだハル・デヴィッドの歌詞も印象深い。
本書はおそらく共著者によるインタビューをもとにして作られたものだろうが、関係者たとえばアンジー・ディキンソン(元妻)、マレーネ・ディートリッヒをはじめ多くから、かなり辛口のものも含めて証言を採録していて、バカラックという人そしてその音楽を多面的に知ることができる。
この人は一応クラシック系の教育を受けたと言えそうだが、その世界でそんなに一流(学校が)のコースともいえないし、飛びぬけた才能を見せたということでもないようだ。一方で学生のころからバンドのアルバイト、徴兵されてからは音楽による慰問担当(というのか?)をやり、朝鮮戦争終了あたりから少しずつ世に出てくる。
あれだけの、つまり70曲以上のトップ40ヒットがあり、アカデミー、グラミー、エミーなどで数多く受賞したのだが、本書を読む限り、才能で音楽が降ってくるという感じではない。それはハル・デヴィッドも同様で、二人で時間をかけ念入りに作り上げていった結果が多いようだ。そういうものなのかもしれないが、その中で何が違うのか、結局言葉にするのは難しいということか。
私生活ではかなり人の特に女性の出入りがあって、欲が多い人だが、そう悪い、不誠実な印象はない。生きていくエネルギーは大きいのだろう。
ところで、この数年で読んだ「キャロル・キング自伝」、「レッキング・クルーのいい仕事」などとあわせると、1960年代、70年代あたりのミュージック・シーン(ジャズをのぞく)にかかわった人たち、その相互関係はだいたい見えてくる。広いようで狭い感じもある。ニューヨークでキャロルとバートは、それぞれ共にやっていた人たち、関係するエージェント、出版社などが、通りのちょうど反対側だったらしい。
もう一つ、バカラックはフランスの作曲家ダリウス・ミョーに習っている。彼以外でも、アメリカのポピュラー、ジャズ系の人たちは、こういうヨーロッパから亡命などで米国に来た実力ある作曲家、あるいはその直の弟子に教育を受けた人が結構いるようだ。確かマイルス・デイヴィスもそうだったと思う。このあたりがこの国の音楽が力を持っている一因ではないだろうか。