生誕140年記念 背く画家 津田青楓 とあゆむ明治・大正・昭和
練馬区立美術館 2月21日(金)-4月12日(日)
津田青楓(1880-1978)という画家については、数日前に本展が日経でかなり大きく紹介されるまで全く知らなかった。
京都に生まれ、奉公中に図案制作をはじめ、浅井忠に学び、上京した後、徴兵、日露戦争を経験、洋画を本格的にやろうと安井曾太郎とパリに行き、帰朝後に夏目漱石と知りあってかわいがられ、漱石後期の本の装丁をやる。その後洋画家として二科会で活動するが、官憲にあげられ、洋画では強い主張が出るのは必然ということで、それからは日本画、南画を描いていく。
長命であったから、こうように日本近代まるごとの画家人生といえばそうである。
洋画については、そう飛びぬけたものはないように思える。中では、裸婦など人物を描いたものよりは、自然、街など風景を描いたものの方に、いくつかいいものがあった。
その一方、若いころの図案には、印象的な、センスがいいものが多く、才能はこっちにあったのかもしれないが、やはり時代が画家にこういう人生を歩ませたのだろう。
ところで、新コロナ型ウィルスで、まず国立美術館が休館になり、2月末に関根正二展を見た神奈川県立鎌倉も翌週休館となった。その一方、東京の区立美術館は練馬だけでなく、渋谷松濤、板橋、目黒など開館している。ごった返すほど観客が見込まれる展示でないからかもしれないが。
そうであるなら、関根正二展もせっかくの没後100年なんだから、休館しなくてもよかったのにと思う。没年は1919年ですでに福島、三重で開催しており、最後が鎌倉、やはり首都圏で行きたい人が一番多いだろうが。
練馬区立美術館 2月21日(金)-4月12日(日)
津田青楓(1880-1978)という画家については、数日前に本展が日経でかなり大きく紹介されるまで全く知らなかった。
京都に生まれ、奉公中に図案制作をはじめ、浅井忠に学び、上京した後、徴兵、日露戦争を経験、洋画を本格的にやろうと安井曾太郎とパリに行き、帰朝後に夏目漱石と知りあってかわいがられ、漱石後期の本の装丁をやる。その後洋画家として二科会で活動するが、官憲にあげられ、洋画では強い主張が出るのは必然ということで、それからは日本画、南画を描いていく。
長命であったから、こうように日本近代まるごとの画家人生といえばそうである。
洋画については、そう飛びぬけたものはないように思える。中では、裸婦など人物を描いたものよりは、自然、街など風景を描いたものの方に、いくつかいいものがあった。
その一方、若いころの図案には、印象的な、センスがいいものが多く、才能はこっちにあったのかもしれないが、やはり時代が画家にこういう人生を歩ませたのだろう。
ところで、新コロナ型ウィルスで、まず国立美術館が休館になり、2月末に関根正二展を見た神奈川県立鎌倉も翌週休館となった。その一方、東京の区立美術館は練馬だけでなく、渋谷松濤、板橋、目黒など開館している。ごった返すほど観客が見込まれる展示でないからかもしれないが。
そうであるなら、関根正二展もせっかくの没後100年なんだから、休館しなくてもよかったのにと思う。没年は1919年ですでに福島、三重で開催しており、最後が鎌倉、やはり首都圏で行きたい人が一番多いだろうが。