メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

グルック 「オルフェオとエウリディーチェ」

2020-01-13 21:35:15 | 舞台
グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」
指揮:ディエゴ・ファソリス、演出:ロバート・カーセン
フィリップ・ジャルスキー(オルフェオ)、パトリシア・プティボン(エウリディーチェ)、エムーケ・バラート(アモーレ)
イ・バロッキスティ(管弦楽)、フランス放送合唱団
2018年5月28・31日 シャンゼリゼ劇場(パリ) 2019年12月 NHK BS
 
先にアップした「天国と地獄」の後に続けて放送されたもの。再放送らしいが、最初がいつだったか記憶はない。
この物語はオペラばかりでなく、演劇、映画など数多くの表現がなされてきた。「天国と地獄」もそのパロディである。
グルックのこれはおそらくオーソドックスな物語なんだろう。この放送録画を見ることができてよかった。
 
グルックが生きた時代は、バッハ、ヘンデル、ラモーなどと重なるけれども、音楽でドラマを描くということからすれば、トップだと思う。この時代の典型的な音作りはあるものの、それがくどかったり、マンネリになったりせず、近代オペラにつながるものを持っている。
 
オルフェオはカウンター・テナー、この高声域の男声はこれまでしっくりこなかったのだが、今回はそうでもなく、グルックの管弦楽の中で、こういう役割で表現させるのであれば、一つの楽器としてもこの音域でよかったのかと思った。通常の男声テノールではオーケストラとの対照が強すぎるのかもしれない。男が歌っているからちょっと珍しく感じるので、後の時代でよくあるように男装の女性に歌わせれば、いわゆるズボン役として受け取ってしまうから、考えようによっては変なものである。宝塚の男役に例えるのは行き過ぎか?
 
演出は全体に黒の衣装と背景、影絵調の照明で、コーラス以外はオルフェオとエウリディーチェ、それにアモーレだけだから、このほうが観るものも集中できてよい。
 
一つ、演出カーセンの解釈なのだろうか、オルフェオが我慢できなくなって振り向いてしまうところ、その少し前にエウリディーチェはそれを予期するかのように白い布を身に纏い始め、神の裁きが下る。こういうタイミングにしたのは、二人の同じ思いがこの結末に結びついたことの表現なのだろうか。ちょっとどきっとした。
 
さて、始まりから出ずっぱりのジャルスキー、これが若者の思いを乗せて見事。プティボンも出てきてから強い表現で聴かせる。この音域だと女声の方が強く感じられるが、これはグルックの意図したものだろう。
愛の神アモーレは女性のバラート、オルフェオの立場にかかわるところは男装、エウリディーチェのフィナーレ近くでは女装で、それぞれ衣装はほとんど同じ、これはなかなかうまい演出だった。バラートはとてもチャーミング。
 
考えるに、やはり振り向いてしまう、見てしまう、人の愛はこうでなければいけないんだろう。日本の「夕鶴」とか、似たようなものはある。
 
この作品のまともな上演といまごろ初めて観るのも、これだったら悪くない。


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