ABC殺人事件 (The ABC Murders)
アガサ・クリスティー 堀内静子訳 ハヤカワ文庫
少し前から読み始めたアガサ・クリスティー、「そして誰もいなくなった」、「オリエント急行の殺人」に続いて三つ目で1935年発表、著者円熟期最高傑作の一つと評価されている。
なにしろ三作しか読んでないから、大したことは言えないが、プロット、描写、叙述(文体)など、たいへん優れたもので、しかも娯楽ものとして読み進んでいくのは快適であった。
すべてが人間的な葛藤を背景にしたものではないであろう連続殺人、それも場所と犠牲者の頭文字がA、B、Cと警察、ポアロに予告され、その通りに進む。さてこれを単なる殺人狂と見るか遊戯と見るか、そしてポアロの言葉は?とうまく興味をつないでいる。友人・相棒のヘイスティングズ大尉の観察による叙述をメインに、この人がいないところの流れは三人称でしかもその節の題名は「ヘイスティングズ大尉の記述ではない」というこれまで見たことのない書き方である。「こう書いていればいいでしょ?」と大御所がにやりとしている感がある。
大尉の叙述というのには、多分微妙なところでイギリス人の感覚が反映しているのだろう。一方のポアロはベルギー出身で、フランス語がネイティヴだから、ここに微妙なイギリスと大陸の対照を作者は織り込んでいるのだろうが、当方それはよくわからない。原語で読んだとしてもどうだろうか。
ところで、変な話しだが、実は読む前から犯人は知っていた。少し前からNHK-BSでBBC作成のドラマが続けて放映され、その中の一つが本作で、1時間X3回というかなり長いもの。今回原作を読んで比べてみると、ドラマの方は相当やりたいようにやっていて、登場人物、場面をジグゾーパズルのように提示、あるいはフラッシュバックさせ、また原作には暗示もされていたかどうかという性的関係も多く、いわゆるサイコパスの世界もうかがえた。また日本人から見ると多くの登場人物の見分けも大変だった。
それで、これは犯人だけはわかっていても、原作を読んでみてもいいかと考えた次第で、それは正解だった。
ドラマでポアロを演じるのはなんとジョン・マルコヴィッチ、TVドラマシリーズのちょっととぼけたポアロとは全く違うが、本作でそう違和感はなかった。もっともドラマの進行の中で、ポアロが多分第一次大戦中に大陸で聖職者を務めていて、戦闘の中を生き延びたトラウマが出てくるのは、シリーズの他作品を読むとわかるのだろうか。確かに「みなさん」というときに「メザンファン(mes enfants)」という口癖からは、そうかなと思わせるものはある。
今回放送された他の2つは「検察側の証人」と「無実はさいなむ」で、おなじみの主人公はいないが、後者で金持ちのちょっとうさんくさい父親を演じるのはこれも大物のビル・ナイ、こういう役にはぴたり、であった。
さて、このブログ、途中で編集ソフトの形が変わり、最初からいくつめかがわかりにくくなってしまったが、おそらくこのアップで千回目である。2006年から始め、当初は1年100回ほどだったから10年でと思ったが、ペースが落ちてきて13年かかった。
身辺雑記はここに入れず、見たり、聴いたり、読んだりしたものについて、印象、評価など、特に基準は設けなかったが、あまり時間が経たないうちに、頭の中の備忘録的に書いてきた。
何年か前のものにリンクを張るとき読んでみると、しっかり書いてるなと感心してしまうところもあり、だんだんいい加減になってきたかと思う。
世の中には松岡正剛の「先夜千冊」などというすごいものがあり、比ぶべくもないが、それでも千回いくと、肩が軽くなった感はあり、これからはゆっくり構えようと考えている。
アガサ・クリスティー 堀内静子訳 ハヤカワ文庫
少し前から読み始めたアガサ・クリスティー、「そして誰もいなくなった」、「オリエント急行の殺人」に続いて三つ目で1935年発表、著者円熟期最高傑作の一つと評価されている。
なにしろ三作しか読んでないから、大したことは言えないが、プロット、描写、叙述(文体)など、たいへん優れたもので、しかも娯楽ものとして読み進んでいくのは快適であった。
すべてが人間的な葛藤を背景にしたものではないであろう連続殺人、それも場所と犠牲者の頭文字がA、B、Cと警察、ポアロに予告され、その通りに進む。さてこれを単なる殺人狂と見るか遊戯と見るか、そしてポアロの言葉は?とうまく興味をつないでいる。友人・相棒のヘイスティングズ大尉の観察による叙述をメインに、この人がいないところの流れは三人称でしかもその節の題名は「ヘイスティングズ大尉の記述ではない」というこれまで見たことのない書き方である。「こう書いていればいいでしょ?」と大御所がにやりとしている感がある。
大尉の叙述というのには、多分微妙なところでイギリス人の感覚が反映しているのだろう。一方のポアロはベルギー出身で、フランス語がネイティヴだから、ここに微妙なイギリスと大陸の対照を作者は織り込んでいるのだろうが、当方それはよくわからない。原語で読んだとしてもどうだろうか。
ところで、変な話しだが、実は読む前から犯人は知っていた。少し前からNHK-BSでBBC作成のドラマが続けて放映され、その中の一つが本作で、1時間X3回というかなり長いもの。今回原作を読んで比べてみると、ドラマの方は相当やりたいようにやっていて、登場人物、場面をジグゾーパズルのように提示、あるいはフラッシュバックさせ、また原作には暗示もされていたかどうかという性的関係も多く、いわゆるサイコパスの世界もうかがえた。また日本人から見ると多くの登場人物の見分けも大変だった。
それで、これは犯人だけはわかっていても、原作を読んでみてもいいかと考えた次第で、それは正解だった。
ドラマでポアロを演じるのはなんとジョン・マルコヴィッチ、TVドラマシリーズのちょっととぼけたポアロとは全く違うが、本作でそう違和感はなかった。もっともドラマの進行の中で、ポアロが多分第一次大戦中に大陸で聖職者を務めていて、戦闘の中を生き延びたトラウマが出てくるのは、シリーズの他作品を読むとわかるのだろうか。確かに「みなさん」というときに「メザンファン(mes enfants)」という口癖からは、そうかなと思わせるものはある。
今回放送された他の2つは「検察側の証人」と「無実はさいなむ」で、おなじみの主人公はいないが、後者で金持ちのちょっとうさんくさい父親を演じるのはこれも大物のビル・ナイ、こういう役にはぴたり、であった。
さて、このブログ、途中で編集ソフトの形が変わり、最初からいくつめかがわかりにくくなってしまったが、おそらくこのアップで千回目である。2006年から始め、当初は1年100回ほどだったから10年でと思ったが、ペースが落ちてきて13年かかった。
身辺雑記はここに入れず、見たり、聴いたり、読んだりしたものについて、印象、評価など、特に基準は設けなかったが、あまり時間が経たないうちに、頭の中の備忘録的に書いてきた。
何年か前のものにリンクを張るとき読んでみると、しっかり書いてるなと感心してしまうところもあり、だんだんいい加減になってきたかと思う。
世の中には松岡正剛の「先夜千冊」などというすごいものがあり、比ぶべくもないが、それでも千回いくと、肩が軽くなった感はあり、これからはゆっくり構えようと考えている。