メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ドニゼッティ「ラ・ファヴォリータ」

2017-05-01 17:33:05 | 音楽一般
ドニゼッティ:歌劇「ラ・ファヴォリータ」
指揮:カレル・マーク・チチョン、演出:アメリ・ニアマイア
エリーナ・ガランチャ(レオノーラ)、マシュー・ポレンザーニ(フェルナンド)、マリューシュ・クヴィエチェン(アルフォンソ11世ウ)、ミカ・カレス(修道院長バルダッサーレ)、エルザ・ブノワ(侍女イネス)
バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団 2016年11月3日・6日 2017年2月 NHk BS-Pre
 
タイトルだけはきいたことがあるが、見るのも聴くのもはじめてである。ファヴォリータは寵姫、愛妾、現代風に言えば愛人。王の愛人(レオノーラ)を見初めた修道僧フェルナンドが、還俗して兵士となり、たちまち軍功をあげて王に認められ、何がほしいときいて、まだ名前もしらない彼女をあげ、愛人問題を法王庁から責められている王はそれを認める。ここには王と修道院長による、たくらみがあって、レオノーラとフェルナンドは苦しめられ、特に自分の過去を恥じ続ける彼女は追いつめられる。
 
こう書くと、感情表現とその起伏が豊富なように予想するのだが、ドラマとしての細部はかなりいいかげんで、すぐに次の段階にうつってしまい、筋に感情移入するのは難しい。したがって現代のセレブ社会を想定した衣装、装置は、むしろ気にならない。
 
それでもこの作品の真価はその音楽にあって、個々のアリアも充実しているが、それをバックアップするオーケストラの表現が素晴らしい。序幕から、はてドニゼッティ(1797-1848)の音楽ってこんなに立派だったっけ、と思う。1840年の作だから晩年といえばそうで、コメディの「ドン・パスクァーレ」(1842)と並ぶものだろう。特に王とレオノーラ、そしてフェルナンドの間のやり取りは、やはり王が主人公の恋人をねらう「イル・トロヴァトーレ」(ヴェルディ)に先行するような気さえした。そういえば椿姫にはヒロインが過去を悔いるところもあるし、「ラ・ボエーム」(プッチーニ)にもそれはある。ドラマの筋立てからすると、あとに行くしたがってより具体的な表現になり、それはヴェリスモへの移行が反映しているといえるかもしれない。そのさきがけといえばドニゼッティも報われるだろうか。偶然だがトロヴァトーレのヒロインもレオノーラだし。
 
さてこれを見たかったのはまずヒロインがエリーナ・ガランチャだからで、メトロポリタンのカルメン、そしてラ・チェネレントラで、これほどの美貌と演技、そして粘り強さのある歌唱は、こういう役には、と感心したということがある。その後あまり見る機会がなかったが、今回、前半はそれほど歌の見せ場がなかったけれど、特に第4幕からは、この悲劇の結末に持っていく強さというか業というか、そういうものを見せていた。
 
ポレンザーニとクヴィエチェンは他の作品でも、主にメトロポリタンの映像で、見ているけれど、今回の方が作品に寄り添って(バイエルンだからか?)、うまさも感じられた。
 
指揮のチチェンは今期待の若手で、ガランチャの夫、これだけで判断はできないが、このオーケストラで深みを出していたのは、その技量によるものかもしれない。
 
一つ疑問は、レオノーラの衣装で、淡いブルーと赤の色に深みがなく、安っぽい感じがした。それはアルフォンソのブルーのスーツにもいえることで、日本人とはちがう感覚なのか、セレブ社会の浅さを反映させたかったのか。
 
なお、今回はオリジナルのフランス語上演である。


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