モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」
指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:リチャード・エア
イルダール・アブラドラザコフ(フィガロ)、マルリース・ペーターセン(スザンナ)、ペーター・マッテイ(アルマヴィーヴァ伯爵)、アマンダ・マジェスキー(伯爵夫人)、イザベル・レナード(ケルビーノ)、イン・ファン(バルバリーナ)、ジョン・デル・カルロ(バルトロ)、スザンヌ・メンツァー(マルチェリーナ)
2014年10月18日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2016年6月WOWOW
幕があく前の満場の拍手でよくわかるように、復帰した指揮者レヴァインのフィガロ、待ってましたという雰囲気。
見終わっても、まずはレヴァインの指揮につきる。とにかく快調なテンポ、いたるところでブリオを感じさせ、傑作と呼ばれる割には特に後半退屈することもあるこのオペラを一気に持っていく。
リチャード・エアの演出は衣装、装置などの時代設定を1930年代にし、「階級とセックス」をテーマにした、と幕間のインタヴューで語っていた。ただこの間見た2007年のザルツブルグ(演出:クラウス・グート)や、2012年のエクサン・プロバンス(演出:リシャール・ブリュネル)に比べると、なんだかチラリズムという程度で、メトロポリタンの行儀良さの範囲に収まっている。
特にザルツブルグは衝撃的で、この作品の本質を考えなおさせるものであった。一方でここでの指揮は先日亡くなったアーノンクール、ゆったりたテンポで舞台の動きに注目し考えさせるにはよかったが、音楽自体としてどうだったか。ここにレヴァインがいたらというのは贅沢なんだろう。
さて今回気がついたのは、伯爵夫人ロジーナで、もちろんロッシーニ「セヴィリアの理髪師」で描かれているように、フィガロの機転でアルマヴィーヴァ伯爵と一緒になったものの、一転伯爵は好色ぶりを発揮して、今度も初夜権廃止を一度は宣言したものの、スザンヌに手を出そうとする。夫人にはまだ子供はいないし、フィガロの歳を考えても彼女はまだそんなに歳ではない。私も最初に聴いた全曲盤でのシュヴァルツコップの感じからして、何か今風に言えば熟女という感覚があったが、そうではなくてまだ「女」であり、そいういう歌であり、演出によってはスザンヌと入れ替わりも不思議はないように見せられる。
ロジーナとスザンヌの二人は容姿も似ていて、ロジーナの歌唱・演技もまだ若いという感じで、これは今回の収穫。
伯爵とフィガロは、二人とも快活な歌唱、伯爵はまだ若々しく好色ぶりもおやじのそれではない。フィガロは体型がもう少しスリムであったらと思う。もっともバルトロ(巨漢デル・カルロ)の息子ということが終盤わかると、それも無理はない(これは冗談)。
さて期待したイザベル・レナードのケルビーノ、姿はまるで宝塚の男役のようで一見ぴったりだが、もう少し少年ぽいほうがいいかもしれないのと、肝心の「自分で自分がわからない」(これがこのオペラの性的な性格を如実に示す歌なのだが)が、いま一つオーケストラに遅れ気味でだったのが、おしい。
そのほかではバルバリーナのイン・フォンの演技が巧みで、チャーミングだし、今後脇役で活躍しそうだ。
指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:リチャード・エア
イルダール・アブラドラザコフ(フィガロ)、マルリース・ペーターセン(スザンナ)、ペーター・マッテイ(アルマヴィーヴァ伯爵)、アマンダ・マジェスキー(伯爵夫人)、イザベル・レナード(ケルビーノ)、イン・ファン(バルバリーナ)、ジョン・デル・カルロ(バルトロ)、スザンヌ・メンツァー(マルチェリーナ)
2014年10月18日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2016年6月WOWOW
幕があく前の満場の拍手でよくわかるように、復帰した指揮者レヴァインのフィガロ、待ってましたという雰囲気。
見終わっても、まずはレヴァインの指揮につきる。とにかく快調なテンポ、いたるところでブリオを感じさせ、傑作と呼ばれる割には特に後半退屈することもあるこのオペラを一気に持っていく。
リチャード・エアの演出は衣装、装置などの時代設定を1930年代にし、「階級とセックス」をテーマにした、と幕間のインタヴューで語っていた。ただこの間見た2007年のザルツブルグ(演出:クラウス・グート)や、2012年のエクサン・プロバンス(演出:リシャール・ブリュネル)に比べると、なんだかチラリズムという程度で、メトロポリタンの行儀良さの範囲に収まっている。
特にザルツブルグは衝撃的で、この作品の本質を考えなおさせるものであった。一方でここでの指揮は先日亡くなったアーノンクール、ゆったりたテンポで舞台の動きに注目し考えさせるにはよかったが、音楽自体としてどうだったか。ここにレヴァインがいたらというのは贅沢なんだろう。
さて今回気がついたのは、伯爵夫人ロジーナで、もちろんロッシーニ「セヴィリアの理髪師」で描かれているように、フィガロの機転でアルマヴィーヴァ伯爵と一緒になったものの、一転伯爵は好色ぶりを発揮して、今度も初夜権廃止を一度は宣言したものの、スザンヌに手を出そうとする。夫人にはまだ子供はいないし、フィガロの歳を考えても彼女はまだそんなに歳ではない。私も最初に聴いた全曲盤でのシュヴァルツコップの感じからして、何か今風に言えば熟女という感覚があったが、そうではなくてまだ「女」であり、そいういう歌であり、演出によってはスザンヌと入れ替わりも不思議はないように見せられる。
ロジーナとスザンヌの二人は容姿も似ていて、ロジーナの歌唱・演技もまだ若いという感じで、これは今回の収穫。
伯爵とフィガロは、二人とも快活な歌唱、伯爵はまだ若々しく好色ぶりもおやじのそれではない。フィガロは体型がもう少しスリムであったらと思う。もっともバルトロ(巨漢デル・カルロ)の息子ということが終盤わかると、それも無理はない(これは冗談)。
さて期待したイザベル・レナードのケルビーノ、姿はまるで宝塚の男役のようで一見ぴったりだが、もう少し少年ぽいほうがいいかもしれないのと、肝心の「自分で自分がわからない」(これがこのオペラの性的な性格を如実に示す歌なのだが)が、いま一つオーケストラに遅れ気味でだったのが、おしい。
そのほかではバルバリーナのイン・フォンの演技が巧みで、チャーミングだし、今後脇役で活躍しそうだ。