吉田秀和が亡くなった。5月22日、98歳。
この人の音楽評論を読み始めてもう半世紀になる。確かこの1~2年前にも何か書いていたのではないだろうか。100歳になって、何を書くかというのも楽しみであったが。
高校生の頃、音楽評論家としては高踏的な感じもあってその文章に親しめなかったが、こっちも背伸びしていたからすぐにこの人は他のひとと違うと思い、ずうっと継続して雑誌、朝日新聞、著書など、多くの著作を読むようになった。
自身の音楽感から個々の演奏を切っていくのではなく、その演奏家は何をしようとしているのか、結果としてどういう音楽の流れになっているのかを具体的に説明しながら、自らも考え読者に解釈を提示するというスタイルだった。一般向けの音楽評論で、文章中に楽譜を入れたのもこの人が初めてではなかったか。
戦後の早い時期に欧米に聴きにいく機会を得て、かの地での一級の演奏会の模様を書いた文章、ベルリン・ドイツ・オペラの来日時にここの上演の意義を的確に指摘したこと、日本ではまったく評価されなかったグレン・グールドについて、その意味を解き明かしてくれたこと、その後アルゲリッチをはじめとするフレッシュな人たちの演奏について、その魅力について書いてくれたことは、今でも鮮やかに記憶している。
また、旧来のクラシック音楽ばかりでなく、20世紀の十二音主義、そのほかケージ、ノーノ、シュトックハウゼン、ブーレーズまで、積極的に取り上げた。
この人の好みがということでなく、こういう聴き方、受け取り方があると知り、自分でそれを応用してみようとして、聴き方が少しは上達したことは、感謝している。
先日、故ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウについて書いたけれども、確か彼がベルリン・ドイツ・オペラで来日したとき、出演が終わってホテルかどこかへ行く車に吉田が乗り合わせFM放送のラジオだろうかピアノコンチェルトの冒頭が聴こえてきたら、ディースカウが「ベートーベンのピアノ協奏曲皇帝」とここまでは普通だが、「ピアノはウィルヘルム・バックハウス、イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルハーモニー」とあて(事実その通りだった)、おもむろにタバコを一服つけた」と、どこかでしゃべっていたか、書いていた。
吉田秀和は、若いころ少し年上の小林秀雄、中原中也と一緒だった。小林秀雄はそこそこの年齢まで生きたが、付き合いがあった主だった人たちも大岡昇平、江藤淳、白洲正子といなくなり吉田だけになってしまった。それ以上に中原中也を知っていたなんていう人も吉田だけだっただろう。
こういう人たちとの関係も含め、著作はかなりまとまっていて入手もしやすいほうだろう。おそらく書いたものの半分くらいは初出で読んでいると思うが、これからまた時々読みたいと思う。
東京文化会館のロビーで休憩時間に、あの特徴あるちょっと長めの白髪(年齢にしては)で少し上を向きながら他の評論家や音楽関係者たちと談笑していたのを何度も見たことを思いだす。