「ヴェネツィアの宿 」(須賀敦子) (文春文庫)
1992年~1993年 「文学界」に連載
須賀敦子の文章をまとめたものは、少しずつ時間をおいていくつか読んでいる。大方の評判も、また著者自身の評価も、「ミラノ霧の風景」、「コルシア書店の仲間たち」、「トリエステの坂道」、そしてこの「ヴェネツィアの宿」の四つが高いようだ。
他の三つを読んでいて、今回これを読んだというのは偶然だけれども、この順番でよかったと思う。最初に本書を読んでいたら、そのあと次々に手に取ったかどうか。
著者が、ある意味でラディカルにヨーロッパと向き合い、自身の生活、書くということをこれまたラディカルに推し進めていくこと、それが文章から伝わってくることは、感動でもあり、また楽しみでもあった。
ただ、イタリアでかの地の人と結婚し、数年後夫を亡くすのだが、夫の家族、そして何人かの友人たちについて、ここまで書いていいのか、という感があった。それは私小説的なものではなく、文章を誠実に書いていく結果としてたち現れてくるものではあるのだが。
今回のそういう対象は「父」である。関西の、当人からすればそれほどではないのかもしれないが、普通に考えればやはりいい家のお嬢さんとして1929年に生まれ、この戦争をはさんだ成長期、そしてその後、恵まれた環境と意思的な生き方を続けた著者に、こういうやっかいな「父」の問題があった、というのは驚きであった。
ここまで書くか、というところはあるけれども、書いておかなければならなかったのだろう。いわゆる「文体」を持ってしまった人が、書いていけば避けられなかったところかもしれない。
戦後登場した人たちで、創作でない散文というと、男はどうもたいした人がいないが、女性には幸田文、そして須賀敦子がいる。そう、幸田文にとって出発は「父」であった。