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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ロストロポーヴィチ 人生の祭典

2007-10-08 15:46:23 | 映画
「ロストロポーヴィチ 人生の祭典」(Elegy of Life:Rostorpovich,Vishnevskaya、2006年、露、101分)
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、小澤征爾、クシシュトフ・ペンデレツキ
 
ロストロポーヴヴィチ(1927-2007)とヴィシネフスカヤ(1926- )の金婚式パーティの映像を軸に、それぞれの過去の回想、作曲者ペンデレツキが見守る中で小澤征爾指揮ウィーンフィルと新作チェロ協奏曲のリハーサルをする映像、そしてヴィシネフスカヤの声楽I(オペラ)レッスンの映像、これらの組み合わせで、作られている。
 
作りは巧妙、特にリハーサルとレッスンの映像が交錯するところは音のタイミングがうまい。
しかし夫の方についてはかなりよく知られた面が多いからか、また変化に乏しいからか、退屈してくることも事実である。それに比べるとヴィシネフスカヤという人がどんな人かよく知らなかったせいもあって、こっちの方が面白い。写真と役柄からもっと情熱的、奔放な人かと思っていたが、ここでは非常に冷静で知性的な面が目立っている。これまで勝手に、こんな2人がよく長い間続いていると感心していたのがおかしい。
 
サブタイトルを見れば2人は対等であり、映画においてもそうである。
それにしても、ペンデレツキの初演リハーサルで、こういう現代曲にこれだけ感情移入できるということに驚く。この恍惚とした、涎をたらすような表情は若い頃も同じであった。
 
もしかしたら彼のこういう面が、指揮者としての活躍、そして時の権力の弾圧に強い抵抗を示し屈しなかったことなどに通じると同時に、音楽的な完成度というところで、何か不満が残ることにも関係があるのではないかと考えている。
 
そんなに彼の演奏を多く聴いているわけではないが、あのカラヤン・ベルリンフィルとのドヴォルザーク「チェロ協奏曲」はやはり頂点だった。
生で聴いたのは1971年11月2日リサイタルでのベートーヴェンのソナタ(第3番)、バッハ、プロコフィエフなど、そして11月6日森正指揮N響との、ハイドン「チェロ協奏曲第2番ニ長調」、プロコフィエフ「交響的協奏曲作品125」、ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」。
深みのある音は今でも記憶に残っている。特にドヴォルザークの第3楽章でハイライトになっているコンサートマスターとの対峙シーケンスでは、確かこの日もN響は海野義雄だったはずで、本当に堪能できた。
 
あと一つ、音楽の天才は違うなと思ったこと。
有名なジダーノフ批判の対象にショスタコーヴィチとプロコフィエフがなった。この2人は14歳の彼にとって恋人のようなものであり、彼らの音楽を理解でない党に対して憤りを感じたそうだ。
音楽的に早熟な14歳がショスタコーヴィチというのはありうるが、プロコフィエフというのは驚く。やはり音楽の天才には想像しがたいところがあるのだろう。
こちらは、ようやくプロコフィエフがいなかったら20世紀のそしてこれからの音楽レパートリーは随分さびしいものになる、と思えるようになったばかりである。