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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ミラノ・スカラ座2020/2021シーズン開幕ガラ公演

2021-04-25 14:46:15 | 音楽一般
ミラノ・スカラ座2020/2021シーズン開幕ガラ公演
指揮:リッカルド・シャイー、演出:ダヴィデ・リーヴ ェルモル
2020年12月3~7日、ミラノ・スカラ座 2021年3月 NHK BSP
スカラ座のシーズン開幕は華やかな行事であることは知っていたから、ガラ公演もあるのだろうと3月末に録画しておいていずれと考えていたけれど、観て驚いた。
 
2020年、イタリアは新型コロナで、近隣諸国と比べても大変な被害にあい、なんとか持ちこたえつつあったとはいえ、年末はとても通常公演という状態ではなかった。が、普通であれば無観客公演で、というところだが、このガラはもっと先を言ったハイブローなものだった。
 
どの時点でこういう映像を企画し、準備を進めたものであろうか。多くの名曲・名場面が斬新な背景、演出とカメラワークで続く。時に間に入るのは、俳優や作家による名作の一部のナレーション、シェークスピア、パヴェーゼ、グラムシ、、、普通の司会者はいない。そして当然入る観客の拍手による中断もない。何かイタリアにとってオペラは何であるかが、ずしんと効いてくる。
 
「リゴレット」、「ドン・カルロ」、「仮面舞踏会」、「オテロ」と続くヴェルディ、「蝶々夫人」、「トスカ」、「トゥーランドット」のプッチーニ、ジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」には思い入れがあるようだ。そのほかドニゼッティ、ロッシーニ、ビゼのいくつか。
多くは死と向き合い、弱きもの、女性へのハラスメントと向き合う、そしてそれを描き切るところから、この不幸な時代を生き抜く力を見つけ、人々に与えたいということだろうか。
意外だったのは「蝶々夫人」で、若いころは日本人として気恥ずかしい印象があったが、次第に、特に全曲を聴くと、これはプッチーニ円熟期の優れた作品を思うようになった。今回は何と二回の登場で、前半に自害前の「さようなら、かわいいぼうや」、後半にはかなく消えるのだが一縷のエスペランサ(希望)として「ある晴れた日に」が歌われる。
 
「ドン・カルロ」のカルロの嘆き、ロドリーゴの死、エボリ姫の悔悟と続き、前記「さようなら、かわいいぼうや」(オポライスの名唱)と死を直視させた後、ここに少し味を変えて「ワルキューレ」第一幕「冬の嵐は過ぎ去って」でほっとさせるところもにくい。ジークリンデは前回アップした「バラの騎士」でマルシャリンを歌ったニールントで、そういうポジションなんだと知った。たしかにワーグナーでもいいだろう。
 
歌手たちはいずれも世界のトップクラスで、よくこれだけ集まったなと思う。意気に感じたというところだろうか、そして多くは一場面だけだから力一杯である。もっともイタリア人はほとんどいないと思う。往年の名歌手ではドミンゴだけ出てきて、元気なところを見せていた。
 
最期にコメントがあったが、このガラは1946年、戦後復興なったスカラの開幕でトスカニーニが久しぶりに登場、指揮したのが始まりという。そこでは、イタリアにとっての見方も敵もなく、死を悼むということだったらしい。
そう、ずっと聴いていると、イタリアにとって対コロナは戦争であり、オペラは戦闘であり、武器であるということだ。なにしろ恒例の最初の国歌(ヴェルディ)の歌詞には「スキピオの兜」とあり、コロナはハンニバルなのだろうか。
 
ある人からきいたことだが、イタリアは経済などめためたになって、政府が何にもできなくなっても、なんとか陽気な日常を保っている、それはマフィアがうまくやるからだ、そうである。後の方はともかく、死に向き合い、音楽が生きる力をというのは、外から見ても感じるところは大きい。
  
とにかく、こういうものを観ることが出来て感謝である。これだけの曲をマスクしたままで指揮をやり切ったリッカルド・シャイーさん、ごくろうさまでした、これこそ本当のブリオでした。


リヒャルト・シュトラウス 「ばらの騎士」

2021-04-19 09:33:50 | 音楽一般
リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」
指揮:ズービン・メータ、演出:アンドレ・ヘラー
カミッラ・ニールント(侯爵夫人マルシャリン)ギュンター・クロイスベック(オックス男爵)、
ミシェル・ロジェ(オクタヴィアン伯爵)、ネイディーン・シェラ(ソフィー)、ローマン・トレーゲル(ファニナル)
2020年2月13、16、19日 ベルリン国立歌劇場 
            2021年4月 NHK BSP
 
「細雪」の次に「ばらの騎士」、「時」が主人公の一人という点では出来すぎの順になってしまった。
舞台、映像をあわせると一番多く観ているオペラかもしれない。
 
今回見ていて、第一幕からマルシャリンが感じる時の流れが強く感じられた。それは登場人物の配置、動きにも出ているし、その意図を受けたカメラワークにも出ている。この作品、最初に観た時からしばらくは第二幕のオクタヴィアンとソフィー、銀のばらといった陶酔するような美しさ、それに敵対するオックス男爵を機知でやりこめ二人は一緒になるが、それを見送るマルシャリン、といった受け取り方であった。
その後次第にいろいろわかってきて、オックスの立派な背中の悲しさとか、時代、世代の交代の哀歓とか加わってきた。
 
今回、ますこれまでのの他の演出とくらべ、あのハプスブルグ時代の豪華な背景装置、衣装ではないことが一つ、そしてオックスを中心とした騒ぎはあるが、これも舞台上の動きと見え方よりはオックスの歌と演技に集中しているようだ。
 
映像では各幕の冒頭に台本作者ホーフマンスタールのコメントが流れ、これは興味深かった。第三幕では、オックス男爵の内面も見てほしい、オクタヴィアンと全くちがうというわけではないのだ、ということだった。
 
そう、オックスは没落を感じつつ、つかみ取りかけたものをあきらめるのだが、オクタヴィアンは時間的には逆にマルシャリンとその世界を失うわけで、そういわれるとこの次は初めからそこに注意してもいい。
 
指揮はズービン・メータ(1936-)、最初から椅子に座っているけれど、考えてみたらこのとき83歳、20代でLAのオーケストラにデビューして評判になり、NHK第2放送(旧いね)でブラームスだったか聴いた記憶があるが、いつの間にかこんな歳になってしまった。でもこれは素晴らしい指揮、シュトラウスの交響詩は若いころからよく指揮していて、レコードもベストセラーになっていた。カラヤンのあとシュトラウスではこの人といってもいいのかもしれない。「ばらの騎士」もカルロス・クライバーのあと、これだけ充実したオケは久しぶりで、メータに感謝したい。
 
歌手ではニールントとクロイスベックが、上記の位置づけからしてもぴったりしていたし、楽しめた。
久しぶりに思い出したが、はじめて観たのははじめての海外旅行、パリのオペラ座だった。たしか到着した日で、睡魔と闘いながらだったと思う。指揮はシルヴィオ・ヴァルヴィーソ、マルシャリンがクリスタ・ルートヴィッヒ、オックスはハンス・ゾーティンとメモに書いてあった。
 

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」

2021-03-31 10:18:57 | 音楽一般
ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」
指揮:ファビオ・ルイージ、演出:アンドレアス・ホモキ
クリスティアン・ゲルハーヘル(シモン)、ジェニファー・ラウリー(アメリア)、クリストフ・フィシェッサー(フィエスコ)
フィルハーモニア・チューリッヒ、チューリッヒ・歌劇場合唱団
2020年12月4,6日 チューリッヒ歌劇場  2021年3月 NHK BSP
 
ずいぶん久しぶりの「シモン」である。こうしてみると、苦手な作品が結構あるヴェルディの中でも、しっくりなじめる。ジェノヴァの新興階級と貴族との対立を背景に、シモンとフィエスコ、そして出生の秘密をかかえるアメリア、古代の英雄・戦争というものでもなく、壮大な悲恋がテーマでもない、現代にも通じるドラマであるから、聴いていて違和感は少ない。
 
中期に作られた時には不発だったらしいが、後期にボーイト(台本)の改訂でこの優れた出来になったようだ。
旋律もかなり覚えていたようで、すぐに入っていけた。
 
この上演は特別なもので、コロナの影響を考え、無観客というのは珍しくないが、オーケストラは別の会場で奏者たちは十分にディスタンスをとり、それを光ケーブルで舞台に転送、歌手は指揮者の映像を画面で見ながら歌ったという。
 
どおりでピットのオーケストラより音がいい、生々しいというかスタジオ録音に近いもので、こうしてビデオで聴くのにはフィットしている。歌手の動きと歌唱の音録りは同時だったのかどうかはよくわからないが、同時だったとすればマイクのセットもよかったのだろう。
 
舞台、演出だが、こういうしかけは初めてではないけれど、回転ステージをうまく使い、ドアと壁の動きで場面を変えていく。今回の全体の枠組みには適したものだろう。だが、衣装特に男たちのものが全体に黒っぽく、ロングでは誰だかわかりにくいことはあった。

歌手は知らない人たちだが、シモンとフィエスコはバリトンとバスの魅力をたっぷり聴かせた。
指揮はこのところ絶好調のファビオ・ルイージ、「さまよえるオランダ人」で感心したけれど、当分この人に頼る感じになるのだろうか。
 
ところで、「シモン」をはじめて観たのは、1981年のミラノ・スカラ座初来日公演、指揮は頂点をきわめつつあったアバド、演出はスカラやピッコロ・テアトロなどで絶好調だったストレーレル、カップチルリのシモン、フレーニのアメリア、ギャウロフのフィエスコというドリーム・キャストだった。
 
ストレーレルの舞台は上記とは対照的に、開放的で、今も眼に焼き付いているあの巨大な帆を背景にしたもの。この作品、最後まで聴いていると、たしかに主人公たちの心の底にはいろんな意味で「海」があって、それが音楽にも反映している。
 
もう一つ観たのがカルロス・クライバー指揮、フランコ・ゼッフィレルリ演出のプッチーニ「ラ・ボエーム」。オペラに関しては最高の日々だった。


チレア 「アドリアーナ・ルクヴルール」

2020-03-11 11:25:51 | 音楽一般
チレア:歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」
指揮:;ジャナンドレア・ノセダ、演出:デヴィッド・マクヴィカー
アンナ・ネトレプコ(アドリアーナ・ルクヴルール)、ピョートル・ペチャワ(マウリツィオ)、アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(ブイヨン公妃)、アンブロージョ・マエストリ(ミショネ)、マウリツィオ・ムラーロ(ブイヨン公爵)、カルロ・ボージ(僧院長)
2019年1月12日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、2020年2月 WOWOW
 
海外歌劇場の来日公演でこのタイトルを見たことはあるが、はてどんなものかと思っていた。アリアなど部分的なものも含めて今回が初めてである。
  
調べてみるとフランチェスコ・チレア(1866-1950)がこのオペラを発表したのは1902年、いわゆるヴェリズモ・オペラに分類されているようだ。寡作だったため、あまり知られていないのかもしれない。
ただこの作品はたいへん人気があり、ディーヴァのためのオペラのようだ。
 
今回、なんといってもネトレプコが主役ということで、この人を聴くだけでも大入りになるらしい。それに加え、ペチャワ、ラチヴェリシュヴィリも映えるから、声の饗宴ということだろう。
 
話は18世紀のコメディー・フランセーズ、ディーヴァのアドリアーナと愛し合う伯爵のマウリツィオは以前公爵夫人と付き合っていて、夫人は今でも強く執着している。それに公爵がからみ、小さい陰謀、策略の末、アドリアーナの悲劇となる。これは実際にあったことに近いらしい。
 
主たる三人の歌唱、特にネトレプコはさすがで、輝きと迫力で最後まで押し切る。他では舞台監督(?)ミショネのマエストリが、アドリアーナが好きなものの年齢からあきらめ彼女を支える役に徹するこの役でいい味を出している。衣装、メイクをもう少しきれいにしてもよかったとおもうけれど。
 
マクヴィカーの演出は、公爵の別荘も含めすべての場面を劇場・舞台で構成、この一つの世界の中のことという感じが続いたのは効果的だった。アドリアーナが「フェードル」の一部を演じ、公爵夫人に見せつけるシーンは圧巻。「フェードル」はやはり歌舞伎一八番のようなものだったのだろう。あのラモーの「イポリットとアリシー」がそうだったように。
 
さてチレアの音楽だが、聴くのがはじめてにしても、どこかのメロディーが印象に残るということはなかった。ただ、ドラマに沿い盛り上げる音楽として、歌手には聴かせどころはあり、オーケストレーションも充実していた。そう聴かせたノセダの指揮も優れたものだった。

桑原あい (Ai Kuwabara the Project)

2020-02-23 14:45:50 | 音楽一般
Ai Kuwabara the Project
2020年2月22日(土)16時~ めぐろパーシモンホール 小ホール
桑原あい(ピアノ)、鳥越啓介(べース)、千住宗臣(ドラム)
 
桑原あいのライブを聴くのは昨年の3月23日(土)(同じホール)以来、この時はソロだった。
 
下記セットリストの中で初めて聴いたのは、2,6,8あたりだろうか。
その2のマイルスの曲、晩年の曲ではないようだけれど、いわゆるモダンからかなり経って、どんどん変わっていく時期みたいな想像をした。千住のドラムプレイが全体支えるというよりは、南米、アフリカあたりを想像させる激しい、予定調和でないもので、このトリオの、この日の色彩を象徴するものだったかもしれない。弾むよりは叩く感じが多く、太い筆で強いタッチというところだろうか。
 
2018年11月に聴いてからこのトリオ変化してきていて、刺激的で面白い。ベースもウッドに複数のマイクをつけ、アンプでさまざまなコントロールができるようだ。
 
桑原のピアノはさらに自在になってきているという感じで、この日一番気に入ったLoroは2016年の東京オペラシティ以来久しぶりだけれど、かなり長いバージョンになっていて、存分に楽しめた。
 
あと欲を言えば、自作は別として、レパートリーがこのところなじみになってきているので、そろそろ大きな変化がほしいところ。
 
なお、最初の2曲で、ベースとピアノのPAのマッチングがおかしく(事前テストではOKだったらしいが)少しどたばたしたけれど、それで大きな破綻というまでいくことはなく、なんとか続いたのは、これもジャズ(いい意味で)ということだろう。

セットリスト
1.You must believe in spring(ミシェル・ルグラン)
2.So near, so far(マイルス・デイヴィス)
3.March comes like a lion (桑原あい)
4.When you feel sad (寺山修司、桑原あい)
5.Loro(E.ジスモンチ)
6.Orbits(ウェイン・ショーター)
7.MAMA (桑原あい)
8.The day you came home(桑原あい)
9.Money jungle(デューク・エリントン)
アンコール
The Back(桑原あい)
 
ところで、ちょうど新型コロナウィルス対策で、各種イベント開催の是非が議論されている中、収容人員200人とはいうものの、目黒区の施設・運営ということもあるのか、観客に対しては入り口でマスクを配布し、着用が義務付けられた。