一昨日は児童文学者協会茨城支部の例会に出かけました。今回は合評作品として提出していた人が、わたしひとりだったので2時間近くもかけてじっくりと9人の方の意見を聞かせていただきました。
去年の合宿で講評していただいた作品を4か月かけて書き直したファンタジー小説です。説明的なところが何か所もあったので、それを臨在感のあるものとして書き直すように
言われていました。
また、娘にも読んでもらい、53か所の書き直す箇所を指摘されました。元の作品より40枚ほど長くなって原稿用紙240枚になりました。9人の方には印刷してあらかじめ送っていたのですが、読む方も大変だったと思います。
ざっと読むだけで2時間ぐらいかかるのに、じっくり読んでくださってアドバイスしていただき、感謝でした。
この会では、ほとんど褒められることはないのですが、「努力賞をあげます」と言われました。別の方からは、「一壁越えましたね。それは、常に作品を再構築する努力があったからでしょう。また、筆力も冴え出したと感じます」と書いていただいて、ちょっとびっくりしました。いつ壁を越えたのでしょう?
でも、ところどころ問題があり、その問題については、わたし自身もうすうす気づいていたことだったので、全体的に書き直さなければならなくなりました。
少し時間をおいて、また書き直しに挑戦します。完成は何年先になるかわかりませんが……。
娘に合評で言われたことを伝えると、「9人もの人からとっても大切なこと、適切なこと言ってもらって、お母さん幸せね」と言われました。その通りです。
「それにしても、今までだっていくつもの作品をずっと合評してもらってたんでしょう?それなのにちっとも成長していなかったのは何故? 10年間、何やってたの?」
と鋭いことを言われ、しばらく答えられませんでした。
ホントにわたしは何をやっていたんでしょう……。
「それでも、10年間成長しなかった人が、50歳過ぎて少し成長したのだから、たいしたもんでしょう?」と言うと、
「聞こえてなかった耳が少し聞こえるようになったのね。これだけみなさんが合評してくれたんだから、ちゃんと書き直しなさいよ」
と言われました。どちらが母親だかわからない母娘の会話です。
でも、わたしは思うのです。何の成長もないように思われた10年でしたが、その日々があったからこそ、ここまで来ることができたのだと。そして、年だからもう遅いなどということはなく、死ぬまで成長し続けられるということ。
肉体は日々衰えていきますが、心が新しくされているので、あきらめてはいけないということです。
聖書の言葉
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(Ⅱコリント 4:16)