一昨日の日曜日は韓国大方(デバン)教会のキル・ヒョンジュ先生が「人生の原動力」という題でメッセージをしてくださいました。
メッセージの一部の紹介と、感じたことを書かせていただきます。
「この世のすべての人は何かに駆り立てられて生きています」
・物質をもとめて生きる人々・・・物質は一時的な幸せを与えますが、人間の価値は所有の多少とは関係がありません。
・人からの賞賛を求めて生きる人々・・・他人が自分をどう見ているか気にして不安を感じています。
・楽しみに駆り立てられて生きる人々・・・日の下には何一つ新しいことがないと気づき、空しさを感じます。
・恨みに駆り立てられて生きる人々・・・つらい過去を思い出し、反復します。怒りを抱き、他人や自分を痛めつけます。
・恐れに駆り立てられて生きている人々・・・景気悪化でくびにならないか恐れる人たち。豚インフルエンザを恐れる人たち。恐れは、わたしたち自身を葬る道具です。
・罪意識に駆り立てられて生きる人々
「今は、キリスト・イエスにあるものが罪に定められることは決してありません。(ローマ8:1)」神様のいのちの御霊により、罪から解放されたことを思って生きるべきです。
キリスト者は天の喜びを追求しながら生きていますが、多くの人が間違った思いで生きています。
パウロは「キリストの愛がわたしたちを取り囲んでいるからです(Ⅱコリント5:14)」と書いています。パウロの人生の原動力はキリストの愛です。
『キリストが時にかなって、わたしをわしづかみにして導いてくださっている。』というパウロ。パウロが様々な迫害、病、困難、苦しみにあっても人生を放棄せず、信仰を持って生き続けることができたのは、キリストの愛が原動力だったからです。
わたしはときとして罪意識に駆り立てられたり、恐れに駆り立てられたりすることがあります。でも、イエス様がわたしのためにしてくださったことを思うとき、はっとして立ち返るのです。
先日、喘息の持病を持つ人が豚インフルエンザにかかると危険だと聞いて恐怖を感じていたとき、ダニエル書を読んでいました。
「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。(ダニエル10:19)」の一節を読んで涙があふれました。神さまは、なんと時にかなったみ言葉を与えてくださるのでしょう。
『神に愛されている人』とは自分のことだと感じました。キリストの愛がわたしを取り囲んでいるではありませんか!
その感動を、その喜びを原動力にして書き続けていきたいです。