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「あらっ、あの子、とうとう階段のぼれたわ」
母親がこれまで緊張していた顔をほころばせ、目を閉じて胸の前で手を組んだ。
「やったわね、すごい! いってみましょう」
「まだだめなの。自動券売機のところまでいけたらケイタイを鳴らすことになっていて、それまでは来ちゃダメっていわれているから……」
母親はポケットからケイタイを取り出してじっとみつめた。
浩一は、ユリエが気になって階段を一気に駆け上がった。
ユリエは、券売機の手前で四つん這いになってハアハアと苦しそうに息をしていた。
「大丈夫ですか?」
駅員が駆け寄ってきて、ユリエに声をかけた。
「だ、大丈夫です。もう少しなので……」
ユリエの顔は真っ青で、額からは汗がにじみ出ていた。
ユリエは手を組んで目を閉じている。唇が動いているので、浩一は何といっているのか知りたくてユリエに近づき、耳を傾けた。
「神様、あそこの券売機までいけるように力をください」
ユリエは、か細い声で祈っていた。
祈り終えると、ユリエは杖をとって立ち上がり、一歩一歩進んでいった。
ようやくたどり着いて、ケイタイを取り出したあと、ほっとしたのかその場に座りこんでしまった。
間もなく母親ともうひとりの女の人が駆けつけた。
「よくやったね、ユリエ」
「おめでとう、ユリエちゃん」
3人で抱き合う姿がみえた。
ユリエは手を組むと、今度は、はっきりとした力強い声で祈りはじめた。
「神様、ここまでひとりでこれたこと、ありがとうございます。つらい事件でしたが、もう2度とあのような事件が起こりませんように。犯人が悔い改めて更正できますように。そして、ヒサヨの家族を守ってください」
(ヒサヨの家族って……オレたちのこと?)
浩一は祈りの言葉を聞いて、胸をつかれた。
(神に感謝し、犯人のためにも祈っている……。なぜそんなことができるんだろう……)
何気なくポケットに手をやると、かたくて冷たいものに触れた。誰かを刺し殺そうとしていたことを思い出した。
(オレと犯人との違いは、ほとんどないじゃないか……オレが人を刺さなかったのは、あの子が祈ってくれたから……それとも、シロヤマブキが咲いていたせいかもしれない)
浩一は急いで階段を下りると、すぐ横にある交番へ駆けこんだ。机の上にナイフを置くと、しぼり出すような声でいった。
「殺人未遂です。逮捕してください」
交番の机の上に生けられているシロヤマブキが小さく揺れていた。
おわり