生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

シロヤマブキ(あと書き)

2009-05-07 13:07:15 | 童話
一昔前までは犯罪といえば必ず動機がありました。怨恨によるものが多かったので、被害者の人間関係を調べれば犯人が浮かび上がってきたことでしょう。

でも、最近の犯罪は動機が不確かです。土浦市殺傷事件の犯人は「自殺したいけれどできないから、誰かを殺して死刑になればいいと思った」言いました。つまり、殺す相手は「誰でもよかった」のです。秋葉原の事件と類似しています。
不可解としか思えないような事件が起きるのは何故なのでしょうか……。

犯人は、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と言って自らの罪を認めることさえしていないようです。


人の命は神様から与えられたもので、何よりも尊いものであること。自分の力で生きているのではなく、生きることをゆるされているから今、生かされているのだということ。生かされているのには、意味があり、ひとりひとり使命があるということ。
どんなに生きたいと望んでも明日まで生きられない命があるということ。

これらのことを犯人に伝えたいです。


シロヤマブキの主人公は被害者の家族です。ひとつの悲惨な事件が家庭を崩壊させる例はめずらしくありません。浩一が生きる気力をなくした理由は理解いただけると思います。
なぜ浩一はナイフを持って出かけ、人を刺そうとしたのでしょうか。

息子が高校生の時、友人から借りてきたと言って、敵を刺していくテレビゲームをしているのを見ました。刺すと血が噴き出し血みどろになってバッタリ倒れます。あまりにもリアルなのでぞっとしました。「こんな残酷なゲーム、すぐにやめなさい!」としかると、「お母さん、ゾンビを刺しているんだよ。人間じゃないよ」と息子が言い、小学生の娘も喜んで画面をみていました。ゾンビといっても人間の姿をしているのです。

あまりにも気持ち悪くて、やめさせました。2度とそのゲームをしないことを息子に誓わせました。
刺し殺すということをゲームの中で何時間もしていると、現実にも刺したくなってしまうことはあり得ると思います。なぜそのようなゲームが作られるのか、なぜ子どもたちが簡単に手に入れられるのか? 大きな問題です。


この物語のもうひとりの主人公ユリエについては、心理描写をしていません。犯人や被害者の家族のためにも祈れる人がいるのだろうか?と思われる方があるでしょう。

ユリエは目の前で親友を殺され、3年間もPTSDで苦しんでいます。歩けるようになったものの、一生杖をつかなければならない障がい者となりました。そのような者が犯人を赦せるのでしょうか……。ユリエは最初から赦したわけではありませんでした。最初は憎しみと闘っていました。

なぜ赦せたか……そのヒントはシロヤマブキにあります。以前ブログにも書きましたが、シロヤマブキは花びらが4枚で十字架を連想させます。

イエスキリストは、十字架の上で十字架につけた人たちに向かって祈られました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)


自分の罪をキリストに赦していただいたのだから、自分に対して罪を犯した人を赦したいと願ったとき、『犯人のために祈る』という奇跡が起こるのです。そして奇跡をみたひとりの少年が悔い改めに導かれました。

 

関連記事
シロヤマブキ

シロヤマブキ(その1)

子どもたちにメディアワクチンを


拍手ボタンです

web拍手