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背後から中年のおばさんの甲高い声が聞こえてきた。
「ユリエちゃんは?」
「ひとりで上ってみるって、きかないから……」
ユリエという名前に聞き覚えがあったので振り返ると、浩一の母親と同じ年代の女の人がふたり、おしゃべりしていた。
ひとりは緊張した面もちで階段を見上げている。階段の中ほどに杖をつきながらようやくのぼっている少女がいた。
「まあ、ユリエちゃん、ひとりでのぼっている。偉いわー」
もうひとりの女の人が大きな声でいった。女の人たちは浩一の存在を気にもとめていない様子だ。
(この二人を刺してもいいんだ)
浩一はナイフの入ったポケットに手をつっこんだ。
「ユリエちゃん、殺傷事件のあと大変だったものね……」
殺傷事件と聞いて浩一ははっとした。ヒサヨが殺された事件のことを話しているようだ。
「命はとりとめたけど、腰を刺されて歩くことは無理だっていわれていたのに……。一生懸命リハビリして、歩けるようになったのよね」
「でも、心的外傷の方が大きかったみたいで、駅にいくと恐怖で立っていられないほどになってしまうの……」
「でも、それも克服しようと毎日駅に通っているんでしょう……。ほんとに、ユリエちゃんはがんばり屋ね」
死なずに大けがをした人が何人かいたと聞いていたけど、あの少女がそのひとりのようだ。
(どうしてあの子は助かって、ヒサヨは死んでしまったんだ……)
浩一は答えの出ない疑問をみえない誰かにぶつけていた。
「がんばり屋というわけでもないのよ……」
少女の母親が階段をチラチラみながら話している。
「あのとき一緒にいた友達のヒサヨちゃんが死んじゃったでしょ。自分だけ助かって申し訳ないって思っているみたい」
思いがけずヒサヨの名が出てきて、浩一はドキッとした。ユリエという名に聞き覚えがあると思ったのは、ヒサヨがよく口にしていた友人の名だったからだ。
浩一は二人の話にじっと耳を傾けた。
「ユリエちゃんのせいじゃないのにねぇ」
「そうなんだけど、先に刺された自分が、友達を守れなかったことがつらいって……。
刺されたとき、声も出なかったようだけど、あのとき大声を上げていたら、ヒサヨちゃんは助かったかもしれないって……」
少女の母親はバッグからハンカチを取り出して、ぎゅっとにぎりしめた。
「でも、そういうときって、声なんか出せないんじゃないかな」
「あまり突然で、その瞬間は刺されたことにも気づかなかったみたい……」
少女の母親はハンカチで目をぬぐった。
「あの事件から三年……。今日は、殺された人たちの命日よね」
命日と聞いて、浩一ははっとした。(今日が三年目だったのか……)
「ヒサヨちゃんの命日には改札のところまでひとりでいくんだって、それで頑張っているのよ」
つづく