証(あか)しというと、クリスチャンでない方は何だろう? と思われることでしょう。神様からいただいた恵みを人に伝えることを証しといいます。
証しは大きく分けて2つあります。ひとつは、なぜキリストを信じたかという救いの証し。もうひとつは、日常生活の中で神様を信じているからこそ体験する感動の証しです。
この間の礼拝では証しをすることの勧めがありました。わたしの教会では、救いの証しは洗礼を受ける時に文章に書き、後日礼拝の中で皆の前で読みますので、洗礼を受けた人は、皆救いの証しをしています。
日常生活の中での証しは、いつでもどこでもできます。周囲の人にキリストを伝える絶好の機会になりますが、心が神様の方に向いていないとできません。
そのような証しができるようになるには、聖書を真剣に読み、聖書の言葉を心に蓄えることだと牧師先生が言われました。
そして、聖書を読む時に次の5つの点について考えながら読むように教えていただきました。
1)神について何か教えているか。
2)イエス・キリストについて何か教えているか。
3)教会について何か教えているか。
4)わたしの人生の中で見習うべきよいモデルはないだろうか。
5)見習ってはいけない悪い例があるだろうか。
聖書のどの箇所であっても、この5つのことを念頭において読めば教えられることがあるそうです。
日常生活の小さな出来事の中で聖書に書いてあることを適用して感動し、それを文章に書いたり、語れるようになりたいなあと思いました。
聖書の内容と実際の生活が全く別物になってはいけないですよね。
主の祈りで、我らに罪を犯す者を我らが許す如く、とありますが、このことを頭に入れてると、他人のことを許せるようになりました
最近思うのが、神様が自分の中に住まわれることが喜び。でも私の心は神様が住まわれるのに相応しくない罪で汚れてます。どうか私の心を神の住まいに相応しい心に整えてください。
と祈ってます。
「上ってはならない。戦ってはならない。わたしがあなたがたのうちにはいないからだ。」(申命1・42)を読んで焦りを覚えました。
神様は、さわちんさんの祈りに応えてくださいます。すでに応えられ、さわちんさんの心に住んでくださっていると思います。
心の中がどんなに罪で汚れていても、神様は赦して下さいます。そのためにイエス様が十字架にかかってくださったのですものね。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪をゆるし、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(Ⅰヨハネ1:9)」
平安がありますように。
本当にイエス様の十字架での苦しみを思うと心が痛みますね。
ヨハネの福音書で、姦淫の現場で捕えられた女性の罪をイエス様が許された場面がありますが、イエス様の心の広さを覚えますね。
ローマ8:1にあるように、キリストにあって赦されない罪はないのですから感謝ですね。