今日は我が家での家庭集会で9名の方が来て下さいました。感謝!
ルカの福音書12:22-31から学びました。
その聖書箇所には、イエスさまが弟子達に向かって語られたことが書かれています。同じような内容で、マタイの福音書6:25-34にも書かれています。
「だからわたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。」
の言葉から始まって、空の鳥は種まきも刈り入れもしないのに神さまから養われていること。そして人間は鳥よりはるかにすぐれたものであるということ。
ゆりの花は紡ぎもせず、織りもしないのに神さまが装ってくれること。だから食べ物や着物のことを心配するのをやめるように言われ、
「何はともあれ、あなたがたは神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」
と締めくくられています。
果たして、人間は鳥よりすぐれているのでしょうか? 環境を破壊し、戦争をする人間は、動物よりすぐれているのでしょうか?
動物より人間がはるかにすぐれている理由があります。神さまが人間を造られたとき、神さまに似た姿として造られました。知性、感情、意志が与えられました。
そして神さまは人間に「すべての生き物を支配せよ」といわれました。(創世記1章に書かれています)
ですから、人間は他の動植物よりすぐれているのです。
食べ物や着物のことで心配してはいけないというのはどうでしょう? 貧しい国では、生きていくために命がけで食べ物を確保しなければなりません。心配しなければ、飢えて死んでしまうではありませんか。
心配という言葉には2つの意味があります。
辞書には1)心を配って世話をすること。
2)心にかけて思い煩うこと。また不安に思うこと。気がかり。うれえ。
と書かれています。
食べ物、着物のことに心を配ることは悪いことではなく、むしろ必要ですが2)の意味で思い煩ってしまうことがいけないことなのだと思いました。
ルカ12:29では「気をもむことをやめなさい」と書かれています。
小さな事で思い煩うことがよくあるわたしです。『もし、~だったらどうしよう……。』と、ありもしないことを想像して、くよくよすることがあるのです。
神の国を求めることとは、神のみこころに従って生きることを求めることです。いちばん大切なことは何かを教えられました。