わたしはかつて、自分のことを理解してくれる人を求めていました。感受性が強く、傷つきやすい自分の心を理解し、慰めてくれる人を求めていました。
心の中をすべて打ち明けてわかり合えるような友を求めていたのですが、すべてを打ち明けたのに理解されずに失望したことがありました。また、逆に打ち明けられてもその人の苦しみを理解できずに、的はずれな言葉を言ってかえって相手の傷を深めてしまったこともありました。
何十年と一緒に暮らしている夫婦でも理解しあうことは難しいものです。むしろ相手のことを誤解していることが多いのではないでしょうか。
わたしは、結婚26年になりますが、最近主人について初めて知ったことがありました。主人は毎晩ビールを飲むので、酒の肴としておかずを作っていました。甘い物は合わないというので、煮物や魚の煮付けなど甘さを控えていました。主人は無口なので美味しいともまずいともいいません。ところが、先日実家に行って義母の作ったぜんざいを「うまい。ちょうどいい甘さだ」といいました。
それは、缶詰の小豆の倍くらいの甘さでした。そういえば、前にやはり義母の作った甘辛く煮付けた蕗の煮物も「美味しい」といっていました。蕗の煮物にはかなり砂糖が入っていました。主人は甘党だったのです。辛党だと思っていたのに……。
これからは、主人のおかずに砂糖を追加しましょう。糖尿病にならない程度にですが……。
ひとこと、「甘みが足りない」と言ってくれれば味付けを変えたのに、26年も気づかないでいたなんて……。このようなことすら理解できていないのですから、心の中のことはなおさらです。お互いに気づいてないことが多いと思います。
親はどうでしょうか。赤ちゃんの時から知って、愛情を注いでくれたのですから、すべてわかってくれるはずなのに意外と理解を得られないものです。
わたしは親に理解されないで辛い少女時代を過ごしました。なので、せめて自分の子供のことは理解できるように努力しよう。傷つけるような言葉は言うまいと思っていました。けれども、娘に言われました。「お母さんの言葉で傷ついた。お母さんはちっともわかってない」と。
心の思いのすべてを誰かにわかってもらったらどんなに嬉しいでしょうか。でも、話せば話すほど相手に通じてないことがわかり、がっかりすることがあります。
シスターの渡辺和子さんは著書の中に「間違われた時、裏切られた時に、相手を許す余地を何パーセントか作っておくことが大切です。」と書いておられます。
相手が誤解しても仕方ないことだと感じるくらいの距離を置くことが、人間関係を円滑にする秘訣なのでしょう。
相手に理解されたくて、すべてをさらけ出したとしても、相手は自分と同じ人間ではありませんから、100%理解できないのです。それは淋しいことですが、人間はみな生まれながらにして本質的な淋しさを持っているのだと思います。心の空洞ですね。
それなら、誰か理解してくれる方はいるのでしょうか? 心の空洞を埋めてくれる方はいるのでしょうか? います。それはイエス・キリストです。イエスさまは完全に理解して下さいます。理解してくれるだけではなく、助けを与えて下さいます。
わたしは心の問題をすべてイエスさまのところに持っていきます。
「イエスさま、どうしたらいいのですか? 助けて下さい!」と泣きながら祈ることもあります。
祈ると必ず解決の道が示されます。それは、いつもすぐにというわけではなく、何日も悶々とすることもありますが、必ず助けが与えられるのです。
問題をイエスさまのところへ持っていけずに苦しんでいる人たちに対しては、どうすればいいのでしょう……。
「苦しみの大部分は、理解する愛の不足によるものです。」とマザーテレサが言っています。
人は、完全ではなくても愛によって苦しんでいる人の苦しみを理解することができます。
だからわたしは祈ります。主よ、どうかわたしに友の苦しみを理解できる愛を与えて下さい。
去年8月3日に紹介した聖フランチェスコの「平和の祈り」を思い浮かべています。ぜひここをクリックしてご覧下さい。
神様の助けが文香さんを通して与えられた気がします
ありがとう