先日は建国記念日でしたが、今月教会の祈祷会では憲法について学んでいます。
ブログで社会のカテゴリーを作りましたが、ほとんど記事を書いてないのは、2つの理由からです。ひとつは、社会問題に対して自分の考えを書いてネット上に公開することが怖いということ。もうひとつは、わたし自身政治経済に関心が持てず、国会中継もほとんど見ていなかったからです。
さすがに餃子事件については「食」という生活に密着した問題なので、ニュースや新聞に関心を示しましたが、憲法の問題は難しいからわからないというのが本音でした。
ところが、先週いきなり、「憲法についてどう考えているか?」という質問をされて、座っている順番に答えなければならなくなりました。わたしは、2番目でした。「パスもありです」と言われたので、考えが頭の中でまとまらなかったのでパスしました。
パスする人がほかにもいるだろうと思っていたら、15、6名の中でパスしたの
は、わたしひとりでした。
何も意見が言えない自分にがっかりしてしまいました。大いに反省して、この1週間意識して新聞を読み、国会中継を見ました。
憲法9条を改正しようとする動きがあることは、以前から薄々知っていました。でも、改正されたらどうなるのか、何が変わるのかなど詳しく知りませんでした。
今日の祈祷会ではNHKスペシャル『日本国憲法がどのようにしてできたか』のDVDを興味深く見ました。憲法について学んだのは高校のとき以来です。知らなかったこともたくさんありました。目が開かれた思いです。
戦争の痛みを体験したばかりの61年前、GHQと極東委員会の2つの機関の間の緊張関係の中で日本国憲法が作られました。国民は平和を切に望んでいました。戦争を永久に放棄することを望んで作られた9条でした。
それを変えてしまったら、また戦争の道へ進んでしまうのではないでしょうか。これは、餃子事件より怖いかもしれません。
西川重則氏とみなみななみさんの「これから戦争なんてないよね?」(いのちのことば社)(憲法改正問題について漫画でわかりやすく解説されている本です)の中に書かれていた言葉に共感しました。
知らなくちゃいけないのに知らない。関心を持たずにいたらまずいことなのになぜか元気に無関心でいられる自分に愕然。今わたしたちは、けっこうこわいがけっぷちを歩いているかもしれないのに全然気づいていないみたい。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)
国のことを知ることは大切です。
誰しも祖国が戦争などせずに平和を望んでいることは大前提です。
現実とは多くの独善性をはらんでいます。
知らなくても良いと言うのではありません。
教会にも思想が入り込むことはあります。
しかし、例えばパウロの手紙を読む時に聖霊の導きがないと読めないように(聖書全体がそうだと思いますが)、クリスチャンは聖書の中にこそ真実を見出した方が安全であると思います。
世界から争いがなくなる日は来るのかな
飢えて亡くなっていく発展途上国の子供
カンボジアのような、地雷が沢山埋まってる土地で命を落とす者、脚や腕を失う者
神様は誰一人そういう犠牲者が出るのを望んでおられないですよね。
でも現実に犠牲者は出てる
今は御技を現す時ではないんでしょうか
大分後になるんでしょうか
それは神御自身にしか分からないですね。
聖餐式の記事読みました。
領収書だったり契約書だったり色々意味があるんですね。
先週の礼拝で札幌から講師を招いて説教をして頂いたんですが、
コリントⅠ、1.18―25の箇所からでした。
十字架が虚しくならないように。
聖餐式は、そういう意味もあるんでしょうね。
憲法について学ぶこと、政治に関心を持つことは、クリスチャンにとっても、必要なことだと思うのです。
歴史を支配しておられる神さまを仰ぎつつ……。
神さまは、今の時代にも生きて働いておられます。
戦争や、飢え、地雷の問題など色々な苦難がありますが、後に神さまがすべてを働かせて益としてくださることを信じましょう。
聖餐礼拝に出られてよかったですね。
教会の中にそのような混同がないようにと願います。
そのような混同は決してありませんので、ご安心下さい。