生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

お寺から教会へ(その1)

2006-12-11 13:43:15 | 日記
 昨夜秋田から戻りました。9日に実家のお墓のある天徳寺で納骨が行われ、10日は秋田恵みキリスト教会の礼拝に親戚の人と母と3人で出席できました。

どうしてその教会に行くことになったかについては、明日以降書きます。今日は疲れて調子が悪いので、写真だけ紹介します。

羊のヨハナン(その3)

2006-12-08 10:01:43 | 童話

明日秋田へ父の納骨に行きます。秋田は雪が降っているとか……。寒がりのわたしはホッカイロを貼りまくっていきます。
でもフラッシュが起こると、(寒くても突然カーッと熱くなり、背中に汗が噴き出します)汗が冷えてもっと寒くなります。薬の副作用なので仕方ないのですが、フラッシュが起きませんように祈りつつ……。
今日はこれから実家に行き、一泊してから母と共にでかけます。主人と娘、妹一家、親戚の者、総勢8人で早朝の新幹線に乗ります。 


羊のヨハナンの最終回です。10月にブログでも紹介したクリスマス童話「やせっぽちのロバ」は昨日土筆文香のHPにアップしました。わたしのHPはずうっと放置していましたが、訪れて下さるかたも多く、感謝しています。半年ぶりの更新になりました。クリスマスの明るい背景を使いました。ブックマークにありますので是非ご覧下さい。

羊のヨハナンとやせっぽちのロバ、どちらがお好きですか?感想や批評など聞かせて下さると嬉しいです。


羊のヨハナン(続き)

エルダじいさんや、ベナヤさんの親戚の羊飼いたちが、それぞれ羊や山羊を連れて集まってきました。
ベナヤさんは、いつものようにルシアを横におき、ヨハナンを呼びました。でも、ヨハナンは先頭に出ていきません。下を向いてベナヤさんと目をあわせないようにしています。

「ヨハナン、どうしたんだ? さあ、おいで」
ベナヤさんが何度呼んでも、ヨハナンが来ないので、ニコルを先頭にして進みました。 長いこと歩いて、やっと草のあるところに着いたときは、すっかり日がくれていました。

羊たちは、おなかいっぱい草を食べてねむりにつきました。ヨハナンは、なかなかねむれません。
「ぼくは、何て悪い羊なんだろう。ルシアにあやまらなきゃいけないんだけど、とてもあやまれないや……」
ヨハナンが満天の星を見上げてつぶやいたとき、エルダじいさんの声がひびいてきました。昔からイスラエルに伝えられている神さまの言葉をベナヤさんたち、若い羊飼いに聞かせているのです。

「しかし彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。……私たちはみな羊のようにさまよい、おのおの自分かってな道に向かっていった」
(羊だって? 自分かってな道にむかっていったって?それって、ぼくのことじゃないか) ヨハナンは、どきっとしました。
エルダじいさんは読み続けます。
「しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた……彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく子羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない」
ヨハナンには難しくて意味がよくわかりませんでした。でも聞いているうちに自分のやったことがどんなにひどいことだったかと気がついて、胸がズキズキ痛みました。

エルダじいさんは、神さまの言葉を毎晩語りました。ヨハナンは、じっと耳をかたむけました。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる」

と、エルダじいさんがいったとき、とつぜん空が昼のように明るくなりました。ヨハナンは、おそろしくて前足で顔をおおいました。
「何だ、何だ、何事だ?」
羊飼いたちも、わなわなとふるえています。 そのとき、空から鈴をころがしたような声が聞こえてきました。前足の間からおそるおそる見上げると、真っ白な衣を着た天使が輪を描いて飛んでいます。
「おそれることはありません。きょうダビデの町にあなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」
天使がいいました。

「救い主がお生まれになったって!」
ベナヤさんが立ち上がりました。
「神さまの御子が、とうとうお生まれになったんだ」
エルダじいさんは、涙を流しています。
「行こう、ダビデの町、ベツレヘムへ!」
羊飼いと羊たちは立ち上がると野原を横切って、ぞろぞろと町へ入っていきました。

羊飼いは、そまつな家畜小屋の前で立ち止まりました。
「これから、救い主をおがみにいく。一匹だけならいっしょに連れていって上げよう。いっしょにいきたいものは、前に出ておいで」
ベナヤさんが羊たちにいいました。
ヨハナンは、後ろの方にいましたが、どうしても救い主に会いたいと思って、前に出ていきました。でも、ベナヤさんの横にルシアがいるのを見ると、ヨハナンは立ち止まりました。(ベナヤさんは、一匹だけ連れていくっていった。ルシアを連れていったらいいんだ。ぼくなんか、救い主に会うしかくがない)
ヨハナンが、あとずさりを始めると、ベナヤさんがいいました。
「おいで、ヨハナン。お前をつれていこう」
おどろいてつっ立ったままのヨハナンのところにベナヤさんがやってきて、ヨハナンの首にうでをまわしました。そしてヨハナンを連れて家畜小屋に入りました。

飼い葉桶の中に、生まれたばかりの赤ちゃんが眠っていました。
(彼って、この赤ちゃんなんだ)
ヨハナンは、エルダじいさんの言葉を思い出していました。(この方は、本当に神さまの子どもなんだ。ぼくのために生まれて下さったんだ)
とつぜん、ヨハナンの目から涙があふれてきて、ぼたぼたと干し草の上に落ちました。

家畜小屋を出ると、ヨハナンはまっすぐルシアの方に歩いていきました。
「ルシア、ごめん。やぶの向こうにおいしい草があるなんていって、きみをだましたんだ」
ヨハナンは泣きながらいいました。
「そんなこと、もういいわ。泣かないで、ヨハナン。きょうは、喜びの日よ」
「そうだ、きょうは救い主誕生の喜びの日だ!」
ニコルがいいました。
羊飼いと羊たちは、神さまを賛美しながら野原にもどっていきました。
                          おわり

絶望の中から

2006-12-07 17:48:17 | 教会

今日、家庭集会クリスマス会でチソンさんの講演会ビデオを見ました。韓国でベストセラーになった「チソン、愛してるよ」(イチソン著 アスペクト出版)のチソンさんが来日講演されたときのビデオです。とても感動したので少しだけ紹介します。


チソンさんは大学4年生の時、交通事故にあい、車が炎上し大火傷を負いました。火傷の中でいちばん重い弟3度の火傷を体の55%に負ったのです。奇跡的に一命はとりとめたものの、激痛に苦しみ、親指以外の8本の指の先端を切断し、さらに顔の皮膚移植をしましたが、全く別人のようになってしまいました。
でも、その絶望の中から希望を見いだしていきました。ふつうだったら自殺してしまいたくなるような状況にありながら、神さまの愛と家族の愛に支えられて、変わり果ててしまった自分の姿を受け入れることができたのです。


チソンさんは目を輝かせて言いました。
「先のなくなった指を恥ずかしいとは思いません。だから隠したりしません。」「もとの顔にもどせると言われても、もどさなくていいと答えます。」
「本当に大切なものは目に見えるものではないからです」

希望がどれだけ人を力づけるか、どんな状態になっても失望しないで神さまの時を待つことの大切さを教えられました。


先端を失った指でキーボードを打って書き綴った証が「チソン、愛してるよ」という本です。「愛してるよ」というのは、神さまからの呼びかけです。

チソンさんが紹介した聖書の言葉は、わたしも好きな詩編40篇です。


私は切なる思いで主を待ち望んだ。
主は、わたしのほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、
私を滅びの穴から、泥沼から、
引き上げて下さった。
そして私の足を巌の上に置き、
私の歩みを確かにされた。
主は、私の口に、新しい歌、
われらの神への賛美を授けられた。
多くのものは見、そして恐れ、主に信頼しよう

羊のヨハナン(その2)

2006-12-07 16:35:23 | 童話
ルシアは、前足をグーッとのばして背中を低くすると、やぶの中に入っていきました。 そのすがたを見ると、ヨハナンは、矢のようなはやさで坂道をかけおり、そのいきおいで、谷をかけ上がりました。
(あのやぶじゃあ、ぬけだせないだろう。ぬけだせたとしても、谷をのぼれないはずさ)

ヨハナンが丘をおりていくと、ベナヤさんが真っ青な顔をして近づいてきました。
「どこへいっていたんだ、ヨハナン。ルシアといっしょじゃなかったのか?」
ヨハナンは首を横にふりました。
「ルシアがいないんだ。いっしょにさがしておくれ」
ベナヤさんは、走り回ってルシアをさがしました。ヨハナンもうろうろしてさがしているふりをしました。

遠くで雷の音が聞こえました、黒い雲がどんどん広がってきます。ベナヤさんはピーッと口笛をふきました。
「もうすぐ雨がふってくる。おまえたち、この丘を下って来た道をもどるんだ。囲いの中に入っていなさい。ヨハナン、先頭をたのんだよ。わたしは、ルシアをさがしにいくから」

ベナヤさんは、走っていってしまいました。 ヨハナンたちが囲いの中に入ったとたんに、大粒の雨がふりだしました。ベナヤさんは、なかなか帰ってきません。ごろごろと雷の音も鳴りだしました。
ピカッ、ゴロゴロゴロ……。地面がゆれるほどの音とともに稲妻が丘の上で光りました。
(ベナヤさん、おそいなあ。ルシアがやぶの中で鳴けば、すぐ見つかると思ったのに……)

「ベナヤさん、だいじょうぶかな」
ヨハナンは心配でたまらなくなって、そばにいる羊のニコルにいいました。
「まだルシアをさがしているんだよ」
「ルシアなんか、ほおっておけばいいのに」
「ベナヤさんは、ルシアのことをとてもかわいがっていたじゃないか。見つけるまでもどってこないと思うよ」
「もし、ぼくがいなくなったら、ベナヤさんはさがさないだろうな」
ヨハナンが、ふてくされたようにいうと、
「そんなはずないよ。ベナヤさんは、君がいなくなったって、ぼくがいなくなったって、ひっしでさがすよ。ベナヤさんは、みんなのことをとってもかわいがっているもの」
と、ニコルが歯をむき出しました。

雨がやみ、あたりは夜のやみにつつまれました。ぴたぴたと、足音が近づいてきました。ベナヤさんです。
ベナヤさんは、ルシアを肩車するようにしてかついできました。
ルシアは、ベナヤさんのかたの上でぐったりしていました。白い毛のあちこちが血でにじんでいます。ベナヤさんのうでにも、いばらでひっかかれたような傷があり、そこから血が出ていました。
「ルシアはやぶの中でたおれていたんだ。だいぶ弱っているから家の中に連れていくよ」
ベナヤさんは、テントの家にルシアをかついだまま入っていきました。
ヨハナンのむねは、いたみました。大好きなベナヤさんにまでけがをさせてしまうなんて……。

次の日、日が高くのぼってもベナヤさんが来ないので、ヨハナンはニコルといっしょにテントをのぞいてみました。
ルシアは横になり、はあはあと苦しそうに息をしています。ベナヤさんは、ルシアのそばにひざまずいて祈っていました。
「ルシアは死んでしまうかもしれないよ」
ニコルがいいました。
(こんなことになるなんて思わなかった。ルシアが死んでしまったら、どうしよう……)
ベナヤさんの祖父のエルダじいさんがやってきて、ヨハナンたちに草を食べさせにいってくれました。ヨハナンは、草を食べる気にもなりません。家にもどると、何度もそっとテントをのぞいてみました。
ルシアは少しずつ良くなってきました。半月ほどして、やっとルシアは草を食べに出かけられるようになりました。

ヨハナンは、ルシアのそばにいけません。遠くからそっとながめていました。
「ルシアも歩けるようになったから、きょうは遠くまでいこう」
ベナヤさんがいいました。
「夜は囲いのないところで寝るから、仲間から決してはなれてはいけないよ」
近くに草の生えているところがなくなってしまったので、草地をもとめて何日もかけて出かけるのです。
             つづく

羊のヨハナン(その1)

2006-12-06 17:15:02 | 童話

先週の土曜日に行われた「はこぶねクラブ」のクリスマス会で行った紙芝居「羊のヨハナン」を紹介します。この童話は、わたしが7年前に書いたもので、かつて教会学校でペープサートにして子どもたちに披露しました。
今回は紙芝居で、ヨハナンとエルダじいさんの声を40代の牧師先生が、ルシアとベナヤさんを60代壮年の方が声を出してくださいました。わたしはナレーションとその他です。


  羊のヨハナン      
                             土筆文香


むかしイスラエルにベナヤという羊飼いの若者がいて、百二匹の羊を飼っていました。 ベナヤは羊にヨハナン、ニコル、ルシアという人間のような名前をつけて、とてもかわいがっていました。
ヨハナンは灰色のまるまると太った羊です。ヨハナンは、ご主人のベナヤさんのことが大好きでした。
ベナヤさんは、羊のところに来て口笛をふきました。きょうは丘の上までいくのです。

ベナヤさんは、囲いの戸を開けると、いつものように自分のそばにいちばん小さなルシアを連れてきました。ルシアは体が弱く病気ばかりしていたので、小さくてやせています。

ベナヤさんとルシアが並んで歩き、その後ろからヨハナンを先頭に百匹の羊たちがぞろぞろと続いて出かけました。
ヨハナンは、ベナヤさんと並んで歩きたいのに、いつもルシアがベナヤさんのそばにいて横にいくことができません。

「ベナヤさんは、ぼくなんかよりルシアのことが好きなんだ。あんなにかわいがっているもの」
ヨハナンは、ルシアのことを気づかいながら歩くベナヤさんの後ろすがたを見てつぶやきました。

緑の草がところどころに生えているなだらかな丘につくと、羊たちは散らばって草を食べはじめました。ベナヤさんは、いねむりをしています。
食いしんぼうのヨハナンは、まっ先に草の青々としげったところにかけていきました。 口いっぱいに草をほおばって、ふと前を見ると、すぐそばにルシアがきていました。

「ルシア、ここの草は食べちゃだめだよ」
ヨハナンは、ベナヤさんがねむっているのをたしかめてから、ルシアにいいました。
「ぼくが先に見つけたんだからな。あっちへいけよ」
ヨハナンは鼻先でルシアをつつきました。 ルシアはおびえたような目をして、ベナヤさんの方へいくと、その横で丸くなりました。

「ルシアのやつ、ベナヤさんのそばにばっかりいって! ルシアさえいなければ、ぼくがいちばんにかわいがってもらえるのに……」
ヨハナンは鼻息をあらくつぶやきました。 おなかがいっぱいになると、ヨハナンは丘のてっぺんまで上ってみました。石ころだらけの谷があり、その向こうに山がそびえています。
(あの山の上までいったら、ルシアのやつ、ひとりでもどってこれないだろうな。よし、ルシアを少しこまらせてやろう)

ヨハナンが丘を下っていくと、ベナヤさんはまだねむっていました。
「ルシア、さっきはごめんよ。とびきりおいしい草があるから、いっしょに食べにいこう」
ヨハナンは、ベナヤさんを起こさないようにルシアの耳元でささやきました。
「おいしい草って、どこに生えているの?」
「いいから、後についておいでよ」
ヨハナンは、ルシアを丘のてっぺんまで連れていきました。
「あの向こうの山に、おいしい草がたくさん生えているんだよ。ここをすべりおりよう」

「待って。そんなに遠くへいったら、ベナヤさんがしんぱいするわ」
ルシアは、ぶどうのような目でヨハナンをじっと見つめました。
ヨハナンは、
「だいじょうぶ。ベナヤさんが、目をさますまでにもどるから。さあ、おしりですべってごらん。楽しいよ」
と、ズズーッと谷をすべりおりていきました。 ルシアは、少しためらってから、ヨハナンの後に続きました。

「こんどは、坂道をのぼっていこう」
谷から山に向かって坂道が続いていました。
「ねえ、ヨハナン。わたし、つかれちゃった」
ルシアは、息をきらしていいました。
「じゃあ、ぼくがおしりをおしてあげるよ」
ヨハナンは、ルシアの後ろに回ると、頭でおしりをぐいっとおしました。
「ありがとう。ヨハナンってやさしいのね」
「てっぺんに着けば、おいしい草が食べられるんだ」

 ヨハナンは、ルシアを頭で持ち上げるようにして坂を上りました。なかなか頂上に着きません。ヨハナンもつかれてきました。
道のわきにいばらのやぶがありました。ヨハナンは、いいことを思いつきました。

「このやぶの向こうにとびきりおいしい草があるんだ。この下をくぐっていけたら、上までのぼらなくていいんだけど……ぼくは太っているから、とてもくぐれないなあ」

「それなら、わたしがいって取ってくるわ。わたしなら細いからだいじょうぶよ。口いっぱいに草をつんで持ってくるわ」
ルシアは、目をかがやかせていいました。ヨハナンは、ちくりとむねがいたみました。
              つづく

ひとりよりふたり

2006-12-05 12:51:54 | 日記

NHK朝の連続テレビドラマ「芋たこなんきん」を毎日楽しんで見ています。主題歌の出だしの「ひとりよりふたりでいま」というのを聞いて、
もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。(伝道者の書4:12)
という聖書の言葉を思い浮かべていました。
原作者の田辺聖子さんがクリスチャンかどうかわかりませんが、主人公の町子たちが教会を訪れるところが今日放送されたので嬉しくなりました。


テレビドラマといえば、先日三浦綾子の「氷点」が放送されましたね。わたしは朝くらいしかテレビを見ないので、夜の番組で興味をひくものがあると録画をし、それを食事時、何日にも分けて見ています。(チャングムの誓いもそうやって見ていました)時間を有効に使うためです。
主人がいるときはテレビはつけっぱなしですが、主人の帰宅は遅く、わたしが寝るころ帰ってくるので一緒にテレビを見ることは稀です。
ニュースもあまり見ないし、コマーシャルはビデオの場合、早送りするので世間に取り残されることも……。(いえ、娘いわく、取り残されています)


遅ればせながら、昨日「氷点」を見終えました。今回の「氷点」は2001年に放送されたものより、原作に近かった気がします。前回は時代を現代に置き換えていたので、復讐のために陽子を夏枝に育てさせたことを夏枝はメールの記録で知ることになっていました。今回は、時代も原作どおりだったし、罪と赦しのテーマもはっきりえがかれていました。


でも、やはり物足りなさを感じます。ドラマ化されると原作の持ち味が薄れてしまうように思います。でも、この放送をきっかけに原作を読む人が増えることでしょう。どうか多くの人が「氷点」を通してキリストを知ることができますように。

あなたは高価で尊い

2006-12-04 12:56:37 | CS(子供伝道)

昨日CS(教会学校)で神学生がメッセージをしてくれました。とてもよかったので紹介させていただきます。(オレンジ色の字が神学生の話した言葉、青色がわたしの感想です)

メッセージは みんなは、「人殺し」をしたことがありますか?というちょっとびっくりするような質問からはじまりました。もちろん「ありません」という言葉が返ってきましたが……。

「いつか殺してやる」なんて人に言ったことはありますか?
心の中で「あの子なんて死んでしまえばいい」と思ったことは?
心の中で「あんな子がいなかったら良かったのに」と思ったことは?
と質問は続きます。

わたしは心の中で「あんな子がいなかったら良かったのに」と思ったことがあります。それは殺人と同じくらい大きな罪です。



人殺しをする人は「あんな人、いなくなればいいのに」と思う心から始まります。
なぜ人を殺してはいけないかというと、悲しむ人がいるからだけでなく、神さまがその人を愛し、生かしておられるから殺してはいけないのです。人を殺すことだけでなく、自分を殺すこと(自殺)も同じようにいけないことです。
神さまは一人子のイエスさまを十字架に架けてしまうほど、わたしたちのことを愛して下さっています。あなたにとって、嫌いな子も好きな子も、良い子も悪い子も、勉強の出来る子も出来ない子も、神さまは愛しておられます。


と言って長さの違う3本の紐を使った手品を見せてくれました。

長い紐は勉強もスポーツもできる子、中くらいの紐は成績が中くらいの子、短い紐は勉強もスポーツも苦手な子です。でも、神さまの目から見ると3本の長さは同じです。
(といって3本が同じ長さになっているのを披露)


神さまの目からみたら、同じだというメッーセジを劣等感にさいなまれていた小学生のころに聞きたかったです。



何の良いところもない人間、何の役にもたたない人間なんてひとりもいません。
全世界を造られた神さまは、人間のことも造ってくださいました。あなたも神さまによって造られたのです。


もう一つ手品をやってくれました。それはたたんだ新聞紙に水を注ぎ一滴もこぼさずにまた水をもどす。という手品です。


この新聞紙は古くて汚い新聞紙だけれど、わたしはとても大事にしています。それは手品をするためになくてはならないものだからです。
わたしが古新聞を大事にして用いるように、神さまはわたしたち人間にも計画をたてて用いようとして下さっています。だから人を殺したり、自殺をしてはいけないのです。
聖書の言葉
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」

神さまがこんなわたしさえも用いようとしてくださり、高価で尊いと言って下さるなんて、感激!!

奇しくも昨日の礼拝メッセージで聖書箇所は違いますが、同じようなことが語られたのでした。

クリスマスの画像

2006-12-02 11:48:56 | 日記

昨日紹介したクリスチャン・ペンクラブの更新したページが好評で嬉しく思っています。どうやって画面を作るの?カットはどこから手に入れたの?という質問がありましたのでお答えします。

HPの絵はインターネットで画像素材を無料で配布しているサイト(数え切れないほどたくさんのサイトがあります)を巡って探します。この画像探しに時間がかかります。(ときには5.6時間も……。でも楽しいです)
記事にぴったりのを見つけられたときはハレルヤ!
けれども、やっといいのが見つかったと思うと、宗教関係サイトでの使用禁止と書かれていることも……。


使用する前に必ず利用規約を読みます。ほとんどが直リンク禁止になっています。
どうやって取り込むかはWindowsの場合、保存したい画像の上にカーソルを置く→マウスで「右クリック」→「名前を付けて画像を保存」→パソコンの適当なフォルダ内に保存。
画像名とサイズをタグに埋め込みます。(ブログの場合はタグは必要ありませんね)


ちなみにこのJCPのHPでも使わせていただいた画像は、akaneさんのサイト「小さな憩いの部屋」の『クリスマス素材2006』から戴きました。このサイトにめぐりあえたことを主に感謝しています。
著作権フリーですが、リンクフリーとは書いていません。メールフォームや掲示板がないのでリンク許可がいただけず、そのためリンクはできませんが、検索サイトで探してみて下さい。


今日はこれから子ども家庭集会「はこぶねクラブ」のクリスマス会です。教会では今年初めてのクリスマス集会です。紙芝居、ゲーム、キャンドルサービスもします。たくさんの子どもたちが集まってきますように!

更新

2006-12-01 17:00:33 | 日記

3年前の今日、乳癌で入院しています。手術は8日でしたが、手術の1週間も前に入院したのは、たくさんの検査があったからでした。喘息で肺機能が弱かったこと、麻酔にアレルギーがあったことで、リスクが大きかったのです。
手術は成功し、その後再発転移もなく元気でいます。感謝。でも、死への備えをしておかなければなりません。


先月は祈祷会で4回シリーズで「死と葬儀」についての学びがありました。その折り、葬儀に関する要望を書いておくようにとすすめがあり、用紙が配られましたので今朝書きました。
自分の葬儀に関してかなり具体的に書くようになっています。葬儀式場の希望、祭壇の希望、好きな聖句、讃美歌、聖歌。思い出を語ってくれる人、教会生活の思い出。仲間に残したい言葉。家族に伝えたい気持ちや残したい言葉……等。もちろん、法的な効力のあるものではありませんから、いくら教会で葬儀をして欲しいと書いていても、主人がだめだと言えばそれまでですが……。


これは3年前にも書いて提出しています。更新というかたちで今回書きましたが、前回書いた物のコピーがありましたので比べてみました。
大体は同じですが、書いたのは2003年3月。乳癌になる前でしたから自分の葬儀はまだずっと先という思いがあって、切実な思いで書いていませんでした。今は違います。父の死を目の当たりにして、死について深く考えさせられていた時期でもありますから、しっかり書いておかなくてはという気持ちです。


前回と違ったことは納骨の希望です。『献体してください。』と『家族墓地に納骨して下さい。』の2つに○がついていました。そういえば、少しでも医学の役に立つならと献体を希望し、問い合わせたら、意外にもいまは間に合っていると言われました。年齢を聞かれ、40代だというと、70過ぎてから申し込んで下さいと断られてしまいました。それで臓器提供をとカードをもらいに行ったのでした。でも、今は癌患者なので、臓器提供もできなくなってしまいました。


今回は『(土浦めぐみ教会の)チャペル・ピスガの納骨堂に納骨してください。』に○をつけました。父の遺骨があるところなのだから、分骨でもかまわないのでそうして欲しいと思いました。3年前には自分がピスガに納骨されることは不可能に近いと思っていたことですが、いまなら可能になります。きっと。
三浦綾子さんは『死は最後の大仕事』と述懐されました。そのときのために備えをしておくことの大切さを実感しています。年が明けたら、主人と子ども達、それぞれにあてた遺書も更新しようと思っています。


それから、クリスチャン・ペンクラブのHP、更新しました。先日行われた関東ブロックのクリスマス会で朗読したクリスマスページェントを掲載しました。背景、カットに苦心しました。是非ごらんください。

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