教会学校のメッセージが終わってほっとしています。
昨日は洗礼式が行われ、5人の方が洗礼を受けました。ひとりの若い医学生の証に心打たれました。愛する家族の者が亡くなったとき、人生の空しさ、人の一生のはかなさを感じたそうです。彼女は、子どものころから神さまはいないのだと教えられてきたそうですが、空しさをどうすることもできなくて、求めていたそうです。クリスチャンの友だち、医学部の先輩に導かれて教会に行くようになり、キリストを信じたと聞いて主の導きに感謝しました。
口にこそ出さなくても、このような空しい思いを抱き、真理を求めて続けている人は多いのではないでしょうか。わたしもそうでした。このさすらいの旅を続ける魂にキリストを伝えたい。光を示すような小説が書きたいと願います。
礼拝ではマタイ2:1-12からのメッセージがありました。東方の3人の博士たちの姿は、求道者の姿だと言われました。救い主へと導く星があり、博士たちは星を目当てに旅をしていきますが、途中で星を見失ってしまいます。彼らの知識、経験に基づき、エルサレムに救い主がいると思って間違った方向に進んでしまいます。でも、再び星を見つけて、救い主のおられるところに導かれるのです。
星というのは神さまの言葉で、み言葉の光によってキリストに導かれていくのだというメッセージは心の深いところにしみこんでいきました。
この博士たちが星を一時的に見失ったように、わたしも見失って道をそれてしまったことがあったのです。今でも、この星=み言葉の光から目をそらしてしまうと道を見失う危険があります。目をそらすことなくいつも光を見つめていたいです。
その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。マタイ2:10