わたしは、父方の親戚にも母方の親戚にもクリスチャンはいないのだと思っていました。
ところが、クリスチャンがいたのです。大叔母(父の叔父の奥さん)ですが、彼女が亡くなるまで、クリスチャンであることをその長女以外誰も知りませんでした。大叔母といっても父と同じ年でした。6年前に駅で倒れ、77歳でて召されました。
長女の意見で、大叔母の葬儀はキリスト教で行われました。そのときわたしは行きませんでしたが、父と母は秋田まで行って葬儀に出ています。
キリスト教式で葬儀をすると天徳寺には埋葬できないため、公園墓地に納骨されました。大叔父はその2年後に亡くなりました。大叔父はクリスチャンではないので仏式で葬儀がなされましたが、大叔母と同じお墓です。
大叔母がクリスチャンであったことを聞いたとき、とても嬉しかったです。高校2年の夏休み、秋田市内にある大叔母の家に1週間ほど泊めていただいたことがありました。竿灯を見に連れていってもらったことや、男鹿半島まで行ったことを思い出します。そのころは新幹線がなく、10時間近くかかる列車の旅でした。帰るとき、叔母がお弁当にサンドイッチを作って持たせてくださったことがなつかしいです。
その次に秋田に行ったのは、22年前、祖母が亡くなったときです。それ以降は今回まで秋田には行っていません。何度か大叔父と大叔母が上京したとき、実家でお会いしているはずですが、最後に会ったのはいつだったのかはっきりしません。
娘さんに尋ねると、大叔母は若い頃にプロテスタントの教会で洗礼を受けていたそうです。(大叔母の実家はカトリックです)クリスチャンになったことを大叔父に言えなかった理由はわかりませんが、なんとなく想像はつきます。つらいことも多かったのでしょう……。大叔母が生きておられたら、信仰のことなどお話したかったのにと思いました。
写真は、見晴らしのいい高台にある公園墓地。大叔母の名の上に十字架が刻まれていました。
つづく