静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教

2008年06月22日 | 説教要約
「神を畏れる」 使徒行伝4章32~5章11節

 聖霊に満たされ、爆発的に宣教と教会形成がなされていた教会にひとつの出来事が起こりました。この記事から主の御旨を知らさせていただきましょう。

Ⅰ 主の恵みに応えたささげもの
 多くの人達が、主イエスの救いと恵みに感謝して、ささげものをいたしました。それを教会は、それを貧しい者や必要をおぼえている者に分け与えていました。
 「ささげもの」とは、義務や強制でなされるものではなく、罪深い私達に救いを与えてくださった主イエスへの感謝と喜びから、自発的になされるものであります。本当に彼らは救いを体験し感謝していたのです。ささげものは、この喜びから生まれてくるのです。

Ⅱ 主を畏れないささげもの
 一方、ここにでてきますアナニヤとサッピラという夫婦は、ささげる動機が違っていました。彼らは、感謝と喜びからではなく、競争心と名誉心からでありました。他の人に負けないように自分達もと。また、人からの誉れを得たいというものでした。また彼らは、聖霊を試みるたのであります。一部を全部と偽りささげ、それを「聖霊が知れるか、罪に定めるか」と共謀して試したのです。彼らは悔い改める機会をもないがしろにし、神の厳しい裁きを受けたのでした。
 教会一同は、今一度、神が生きておられることを厳粛に受け止めたのでした。神はあなどられるようなお方ではないのです。

 私達は、どのような姿勢でささげものをしているでしょうか?
主イエスへの感謝と喜びをもってささげ、主イエスの祝福をさらに受けたいのです。

2008/6/22 説教者 杉本守
  
 
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