「主イエスの愛を注がれている者として」
今年も一番暑い夏、8月がやってきました。お年寄りの兄弟姉妹にとっては、主イエスを礼拝するために教会堂へ来ることが、容易ではないことを知っています。また病める兄弟姉妹にとってもそうであります。しかし、この7月も暑い中、また体調が万全でない時も、神の家族と共に礼拝するために、教会堂へ来て礼拝に励んでおられる兄弟姉妹の姿を見ます。どうしてこんなに暑い日なのに、どうして体調が十分でないのに、礼拝に励んでおられるのでしょうか。命令され律法的に強制されているからでしょうか?義務感からでしょうか?習慣化されているからでしょうか?いいえ、どれも違います。それは、兄弟姉妹が主イエスの愛を知り、救いにおいて体験し、今も、日々に、主イエスの圧倒的な愛を自らの身に注がれていることを感じておられているに違いありません。内にいただいている主イエスの愛がそうさせているのです。
「なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ人への手紙5章5節)
2011/7/31