静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2022年05月22日 | 天のマナ
「この方(主イエス)の打ち傷によって、あなたがたは癒されたのです」(Ⅰペトロ2:24)
 「人生は何で決まるのか?」と問われたら、あなたは何と答えるでしょうか?ある人は「知識」、別の方は「財産」、他の方は「人望」などと答えるでしょう。私は、「主イエス・キリストに抱きしめられた回数」と答えます。創世記に出てくるヤコブは、我が強く、自我丸出しの人生を送っていましたので、人とぶつかり合っていました。兄を押しのけ兄に憎まれ、兄から命を狙われ家にいれなくなり、遠方の叔父さんの家に逃げました。やがて、ヤコブは家族を引き連れ故郷に戻ります。しかし、彼の心は穏やかではありません。実家には兄がいて、兄との関係が解決していないからです。彼は、ひとりになり、夜を徹して神と格闘するほどに祈るのです。神からの解決をいただかなければ、平安をもって兄と再会し、兄との関係を回復することができないからです。神の前に出て真剣に祈り、神に取り扱われ、突っ張っていた自我が神によって砕かれ、ヤコブはきよめらえたのでした。そして彼は平安の内に兄と再会し和解したのです。
 祈って神に取り扱ってもらわなければ乗り越えない課題がある時、神の前に出て真剣に祈る時をもっているでしょうか?主の御腕に抱きしめられ、主からのみ言葉を頂いて立つ経験。あの時に主に抱きしめていただいたという聖霊によるみ言葉の信仰体験の積み重ねが、クリスチャン生活の歩みなのです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 講壇の花 | トップ | 天のマナ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

天のマナ」カテゴリの最新記事