静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2014年11月30日 | 天のマナ
 「神のよって与えられる正しさ」

「正しい生活をしていれば、神を信仰しなくてもいいのではないでしょうか?」と問われます。皆さんは、どのように答えるでしょうか。「一問一答」(尾山令二著)の本を参考にして、記したいと思います。

 この質問者が言われている「正しい」ということは、何を基準にしていての「正しい」なのかであります。自分の良心は、その人だけに通用する正しさで、人によって基準が違い、人の良心は悪いことをすれば次第に麻痺していきます。また、常識的な意味で「正しい」ということも、時代が変われば変わってしまう基準であります。これらは絶対的基準にはなりません。絶対的な正しさというのものは、人間の良心や常識では判断できないもので、それは神を離れてはありえないのです。人間は、神を離れては正しい思いをもつことができず、正しいことをすることもできません。ですから、どの時代、どの状況にも変わらず貫かれている神の絶対基準においての正しさを、神を信仰することによっていただくしかありません。

2014/11/30
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 講壇の花 | トップ | 主日礼拝説教要約 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

天のマナ」カテゴリの最新記事