静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2012年10月21日 | 天のマナ

 「成熟した者へと」    

 「神はキリストの福音によって罪と死の解決をしてくださったのに、なぜ、困難や試練を残すことを許されたのだろう」と時々考えます。神の答えはきっと広く深く、人間の私達にはほんの一部しか地上ではわからないかもしれません。すべてが明らかになるのは、神の国に入れさせていただいた時でありましょう。楽しみで仕方ありません。ここではわたしなりに、人生の歩みの中で考え経験し気付かされたことを、二つあげさせていただければと思います。

 一つ目は、それらの困難や試練は、人間自身の弱さを知らせ認めさせ、全能の神に向けさせるために神は残されたのではないかということです。人は、それらによって自らの弱さを知り、神に頼るのであります。

 二つ目は、それらの困難や試練は、訓練や鍛錬となり人間自身を育てあげてるからです。喜びや楽しさだけが人間を育てるのではなく、困難や試練も人間を育てるのです。 「それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」(ヘブル12:11)

2012/10/21

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