「いつも喜んでいなさい」(テサロニケの信徒への手紙一5章16節)
主なる神の御心(主なる神があなたに望んでいること)は明確です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しない。神があなたがたに望んでおられることです」と言うことであります。
「それはいつも喜んでいたいが、喜びたくても喜べない時がありますよ」と思います。ヨハネによる福音書2章に記されていますが、カナで行われた結婚式に主イエスと弟子達は招待されました。なんとその結婚式の途中で、大変なことに喜びの象徴であるぶどう酒がなくなってしまったのです。そこで主イエスは、六つの水瓶に水をいっぱい汲ませ、その水を最上のぶどう酒に変えて祝福したのでした。
私たちの人生にも喜びがなくなる時があります。いくら努力しても打開できず、落ち込み下を向いてしまうのです。しかし、主なる神はその私たちに、水をぶどう酒に変えるように、主にある恵みと喜びを与えてくださるのです。それも人間がなす喜びをはるかに超えた喜びです。「いつも」の喜びは、人間にはありません。主イエスによって、主イエスにつながっていると流れ来て与えられるのです。主イエスを見上げましょう。「水をぶどう酒に変えて下さい」と祈りましょう。主はそうして下さるのです。だから、いつも喜んでいられるのです。
主なる神の御心(主なる神があなたに望んでいること)は明確です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しない。神があなたがたに望んでおられることです」と言うことであります。
「それはいつも喜んでいたいが、喜びたくても喜べない時がありますよ」と思います。ヨハネによる福音書2章に記されていますが、カナで行われた結婚式に主イエスと弟子達は招待されました。なんとその結婚式の途中で、大変なことに喜びの象徴であるぶどう酒がなくなってしまったのです。そこで主イエスは、六つの水瓶に水をいっぱい汲ませ、その水を最上のぶどう酒に変えて祝福したのでした。
私たちの人生にも喜びがなくなる時があります。いくら努力しても打開できず、落ち込み下を向いてしまうのです。しかし、主なる神はその私たちに、水をぶどう酒に変えるように、主にある恵みと喜びを与えてくださるのです。それも人間がなす喜びをはるかに超えた喜びです。「いつも」の喜びは、人間にはありません。主イエスによって、主イエスにつながっていると流れ来て与えられるのです。主イエスを見上げましょう。「水をぶどう酒に変えて下さい」と祈りましょう。主はそうして下さるのです。だから、いつも喜んでいられるのです。