静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2008年07月06日 | 天のマナ
「律法と私達」    

 ある教会では、十戒を礼拝の中で毎回、会衆全員で告白しています。主イエスは旧約聖書の預言と律法を成就されるために来られ(マタイ5章17節)、十字架において旧約を成就し、新約を結ばれたのでした。ですから、私達は、旧い契約(律法を守る行いによる救い)ではなく、新しい契約(イエスを救い主と信じる信仰による救い)に生きています。

 それでは、律法は無意味、不必要になったかと言うとそうではありません。律法がなければ私達は自分が罪人だということがわかりませんし(ガラテヤ3:22、ロマ3:20)、罪が示されなければ救いを求めなくなります。また、律法がなければ私達は具体的にどのように歩んで良いのかわかりません。

 主イエスは、律法全体と預言者(旧約を代表するもの)は、「神を愛すること」と「自分を愛するように隣人を愛すること」にかかっていると言われました。「神を愛すること」とは、具体的に十戒の第一~第四戒です。「隣人を愛すること」とは、第五~第十戒として具体的に示されています。

 また、ささげ物についてもそうです。10分の1のささげ物は、旧約全体を貫いている律法です。これも主イエスは成就されました。新約においては、私達の全ては主のものであり全部をささげることです(ロマ12:1 体とは肉体ではなく、すべてという意味)。「全ては主のものです」という信仰を私達は、どのようにあらわすのでしょうか。それは、「10分の1」です。でもこの10分の1はもはや戒めではなく、救われた喜びとして、自発的な具体的なものです。具体的な基準が必要なのです。自分のものとすぐに勘違いする私達には。

2008/7/6 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 講壇の花 | トップ | 主日礼拝説教要約 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

天のマナ」カテゴリの最新記事